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[ 106483 ]

酒席に彩りが添えられてよろしいと思います。
[ 2016/03/06 ] ◆JCdqMm0U

[ 106486 ]

むしろ客をいれる座敷に使った方がよいような気がしますねぇ。
[ 2016/03/06 ] ◆-

[ 106487 ] NO TITLE

美しい
[ 2016/03/06 ] ◆-

[ 106489 ] NO TITLE

枕元で芸妓の幽霊が三味線を弾いてくれるのか。見られるのは良い夢か、はたまた...

ところで、板さんが中条きよしで再生されるんだが。
[ 2016/03/06 ] ◆-

[ 106492 ]

水・塩・酒は置いただけじゃダメだと思う。相手に何のために置いたのか、誰のために何をしたくてそう施したのか分かるように神職なり住職なりに拝んでもらわないと。
[ 2016/03/06 ] ◆-

[ 106493 ]

マンガ「オメットさん」で再生。
[ 2016/03/06 ] ◆-

[ 106500 ] NO TITLE

案外、普段静かな二階にもお客さんがいっぱいな様子に、宴席を懐かしんで唄っていたのかもよ。
本人が彷徨って困ってるんじゃなければ、もういっそお店の守り神のようになって貰ったら繁盛しそう。
座敷童ならぬ、本物のお座敷芸妓さんだし。
[ 2016/03/06 ] ◆-

[ 106513 ] NO TITLE

威圧感を感じてるんでしょ、客を通しても心地よくはないんじゃない?
唄を聞いて気味が悪いと感じなかったのであれば悪いものじゃないのかな〜
やっぱり神職や住職に取り次いでもらわないと水や塩置いても意味ないんだね。
[ 2016/03/06 ] ◆-

[ 106514 ] NO TITLE

女郎街。女たちの涙を飲み込んだ場所
三味線は、彼女たちへの慰めなのかも知れない
[ 2016/03/06 ] ◆-

[ 106519 ] NO TITLE

納得してなかったという場合、お供え物にはそれぞれ意味が在るそうだから、もしかするとお供えした水と酒と塩の「意味」がその場所に「合って」なかったのかもね?

この手の事は素人判断じゃなくて、ちゃんとした専門の人を呼ぶのが一番いいと思うなぁ…



[ 2016/03/06 ] ◆-

[ 106523 ]

長唄に意味があったのかもしれないね。

その後何もなければ、板さんの気持ちは伝わったのだろうよ。
[ 2016/03/06 ] ◆-

[ 106543 ] NO TITLE

106514
ところが案外そうでもなかったらしくてな。
昔の女郎が必ず芸を仕込まれていたのはなぜかといえば、最終的に身売りしたぶんの金を返し終わってから独りで生きていける技能を身につけるようにという計らいがあったからだ。
いわば修行の場、職業学校みたいなものだった。
きっと半ばでお亡くなりになった方なのだろうが、その暮らしを恨んでいるなら習わされた長唄なんか歌うわけもないだろうさ。
[ 2016/03/07 ] ◆-

[ 106566 ]

三味線のために殺されたネコの霊に合掌。
[ 2016/03/07 ] ◆-

[ 106571 ] NO TITLE

106543
娼妓と芸妓を混同してないか?
芸妓は教養無きゃ務まらんが、吉原の太夫のような一部の高級娼婦は例外として下の芸専門だろ。
しかも女郎屋って職業学校どころかストレートに風俗店じゃないか。それも最下級の。
身請けされたり、性に合うからと続ける者も居ただろうけど、足抜いても里に今更帰れないとか過酷労働でオダブツが多かろうよ。

シャバでまともに暮らす事に淡い夢を抱きながら、三味線弾いて唄って気を紛らわせてたのかねぇ...
[ 2016/03/07 ] ◆-

[ 106618 ] NO TITLE

106571
うん、概ね同意見です
ちょっとしたご縁がありまして、盆暮れ正月は置屋に挨拶に行く暮らしをしてますが、やはり色々と聞いてきた話では、概ねそんなところかと
[ 2016/03/08 ] ◆-

[ 106740 ] NO TITLE

106571
混同も何も基本一緒だよ。
じゃあ芸を教えない純粋な風俗店の性質のものがあったとして、30過ぎたらいきおくれの江戸時代では長くはつとめられないのに、捨てられて惨めだとかの話が残っていないのは何でだ?
しかも当時は風俗店でも数回通って気に入られたらようやく関係を持てるとかそんなのだぞ?
なんでも現代と一緒にしちゃいけないね。
[ 2016/03/10 ] ◆-

[ 106741 ] NO TITLE

あ、一緒ってのは娼伎は芸伎の性質を必ず持つって意味な。
地域柄もあるだろうから一概には言えないだろうが、ともかく俺の聞いた話と当時の記録、当時の価値観を照らし合わせて一番納得いく結論が「意外と娼伎も人生楽しんでた」だったんで。
[ 2016/03/10 ] ◆-

[ 106775 ]

106740

30過ぎどころかかぞえで18辺りでもういき遅れだと思ふ。
[ 2016/03/10 ] ◆-

[ 106815 ] NO TITLE

>106741 当時の記録って具体的にはどんな史料?
[ 2016/03/11 ] ◆-

[ 106842 ] NO TITLE

なんでも現代と一緒にしちゃいけないと言うが、風俗業って大昔から基本的に変わらないと思う。
江戸時代にもデリ・ホテヘル、風呂、出会い喫茶、炉、ショタ、homo、各種専等々テレクラ以外似たような商売が有ったらしいし、年増でも受け皿は有っただろうな。
106815
たぶん106741が言いたい娼妓とは花魁の事を指すんじゃないか?岡場所の女でなくて
[ 2016/03/11 ] ◆-

[ 106847 ] NO TITLE

吉原は幕府公認の遊郭、花魁はそこの高級遊女
岡場所は非公認(深川や品川)
飯盛り女も非公認のはずだけど、どこそこの宿場町には何人まで、という記録がある
江戸に関する本や辞典みたいなので読んだ
[ 2016/03/11 ] ◆-

[ 106894 ] NO TITLE

>106842 あ,いや,106741がそのどちらのつもりで言っているかは本人の答えを待つとして,純粋に当時の風俗事情に関してどんな記録を見(て人の話・当時の価値観と合わせて判断し)たのか気になって...。
[ 2016/03/12 ] ◆-

[ 108976 ] NO TITLE

106543なんかは客視点の意見だな
その通りであるのなら、だいぶ後の話ではあるけど花魁の森光子みたいなのが出てくる訳もないし
ランクの高い遊女は最初は顔を合わせるだけだけって話だけど、そういう高級遊女はいなくなるし、その作法の存在自体怪しまれてるしね
下級遊女は昼も夜も売春しっぱなしだし、江戸時代って普通に結婚してる女性が折檻で死ぬことは珍しいと思うなあ…

吉原は30で引退だけど、その後もランク下げてまだ売春してたみたいよ
だから結局売られた時や働いてる間の借金が返せなかったんだろう
[ 2016/04/17 ] ◆-

[ 110655 ]

>106740
何の記録を見たんだかしらんが、初期はともかく後期には吉原遊女でさえ性病や堕胎で体はボロボロ、死んだら墓も立てられず投げ込み寺行き、借金を減らそうにも身の回りのものや衣装費(定期的に高価な着物などを買わせるシステムがあった)で返すそばから膨らむ一方。年季明けできちんと出られるのなんかよっぽど計画的に金を貯めた人だけでそれ以外は身請を待つか108976の言う通りどんどん場末の岡場所に落ちていくだけ。
置屋の外に出て三味の師匠になる人もそりゃいたけど(ちなみに年季明けてもそのまま置屋に残って遊女の世話係や遣手になる人もいた)娼妓の惨めな話なんかちょっと文献辿ればいくらでも出てくるのに、「話が残ってない」て言い切れる自信はどこから来るんだか。
こういう人が社会問題そっちのけで「売春はしたい奴がしてる」とかいうんだろうな。
[ 2016/05/14 ] ◆-

[ 119149 ]

客視点利用者視点だと思うよ。
幾ら教養が付こうが芸が身に付こうが腹の中好きでもない男に抉られて梅毒だなんだと危険の代償には程遠い。
お金借りたじゃないってなら親に貸し付けた親の借金だからね理不尽に変わりない、楽しんでた人もいるってそれこそほんの一部の話だろう。
[ 2016/09/08 ] ◆-

[ 191607 ] NO TITLE

苦界での生活を楽しむくらいの強烈な意思と貪欲さと、
保身のため(自身の健康と、立場の、両方を保つ)の狡賢さを備えた場合は、
生き延びる確率が、少しは上がったでしょうか。

上の方の米にあるように、夜鷹や蹴転び等の場合は、
一回の値段がお蕎麦一杯分程度で、一日に数回こなさないと生活できなかったりします。
花街に絞って見ると、以前にもどこかの米欄に書きましたが、
江戸は人間の動きを非常に詳細に記録しており、
花街に入った少女と、出て行った女性の対比は、およそ10対1で、
9割は亡くなりました。性病以外の病気も多かったです。
花街では、若くて健康なうちに、旦那様に身請けされることこそが目標でした。
お店も、その方が大金が入るし、病人を増やさずに済むし、
新人を入れるとお客が集まるので「いいこと尽くし」なのですね。
大勢のライバルの中から目を掛けてもらうには、ルックスだけでなく、
踊りや唄や楽器の芸事、会話スキル、きれいな字で営業ラブレターを書く才能などが必要でした。

もちろん、たまには、強靭な心身を保って10年の年季が明けるまで働いた方もいます。
そのときは、お店を挙げてのお祝いが催されて、晴れやかに送り出されてゆきます。

ところで、「花街の仕事を終えたのちに、身を立てるための芸」は、
昭和後期までは健在でしたよ。
三味線や舞踊、小唄の師匠のおばあさんは、まず間違いなく、花街の出身でした。
[ 2020/08/04 ] ◆-

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