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[ 190938 ]

他人に施されないと続けられない信仰とは()
[ 2020/07/13 ] ◆-

[ 190940 ] NO TITLE

片足で(指先がない?)物乞いの男の子が
色んな所で断られて、
同じくらいのバナナを売っている男の子の前に立ちました

どうやらそのバナナ売りの子は今日は、バナナが売れなさそう

バナナ売りの少年の前に、物乞いの少年は立ち 
何事かお願いしていました
諦めたように、バナナ売りの少年は
物乞いの少年の前に
『どうせ、売り物にもならないやつだから、食えよ』と(多分そういう感じで)
若干傷んだバナナのいくつかを置きました
片足で指の先のない少年は、お礼をい言うように頭を下げて
バナナを食べ始めました
ただ、指の先がないので、うまく剥けません

それを見かねたのでしょうか?
そっぽを向いていたバナナ売りの少年が、バナナを剥いて物乞いの少年に渡し始めました
目は合わせていませんでした
お互いに黙々とバナナを剥き、渡され、食べ続ける状況が続きました
しばらくして
物乞いの少年は『ナマステー』の手の形を取って去って行きました
彼が去った後
それまで全く興味を示さなかったお隣の物売りの女性が
バナナ売りの少年を褒めていました
褒められた少年も、照れていました

施しと、言われると、なぜかあの場面を思います
(真っ直ぐに向き合っていても
咀嚼ができない相手の口に、笑顔で無理やり食べ物を突っ込むのではなくて
相手のペースに合わせて、補給していく感じ)
[ 2020/07/13 ] ◆-

[ 190941 ] NO TITLE

190938
托鉢を続ける中で、このお坊さんは自分自身の力のみで生きているわけではなく「おかげ」で生かされているという有難さを知り、同時に自身の甘さを知ったわけだ。
それを無意味と思うか否かは、まあ人それぞれだろう。
[ 2020/07/13 ] ◆-

[ 190945 ] NO TITLE

修行僧というのはまったく経済活動をせずに修行に専念する
だから托鉢以外に食料を得るすべはない、托鉢して何も貰えなかったら
それそれで何もしない(金儲けはせずに修行を優先)
坊主が金儲けをするなとかいう奴らは190938みたいな人なのかね
[ 2020/07/13 ] ◆-

[ 190959 ]

生きてる人間か物の怪か見分けつかんようじゃ修行が足りん
[ 2020/07/14 ] ◆-

[ 190960 ] NO TITLE

一休さんだか誰だか忘れたけど、托鉢してたら泥棒に間違われて穴掘って生き埋めにされそうになった。
けど無抵抗でされるがままだったが、途中で誰かが間違いに気づいて命拾いしたというのがあったはず。
人間、生きているんじゃなくて運命によって周りから生かされているってことかなあ。
[ 2020/07/14 ] ◆-

[ 190982 ]

うーむ何か的外れかもな
女性の言葉の意味が分からない
僧侶は頻繁に施しを受けてたときよりも10年ぶりに訪れたときのが恥じるべきと感じたのだろうか、、、何をか
懺悔とか救いを求めてたのかな
施しを受けなくとも良くなったから足が遠退き10年も過ぎて久々に訪れたとかな
よく分からないけど
[ 2020/07/14 ] ◆-

[ 190984 ] NO TITLE

○○だから正解、とかいうものではないとは思うけど、

話からして村人達はお坊さんの事を快く思っておらず「さっさと失せろ」という蔑んだ目で見ていたようだし、そんな世の儚さが虚しく、自分が惨めだったんだろう。
そんな中で人の優しさに触れられたのが件の女性だった。
金品よりもそれが癖になってしまっていた事を恥じたんじゃないかな。
「お金が目当てではなく、来なきゃいけないと思って来る」という言葉からお坊さんはその事を悟ったんだろうと思ったけど。
[ 2020/07/14 ] ◆-

[ 191036 ] NO TITLE

>190982
迷える衆生を導くべき僧侶なのに
迷える霊?に気づかずしかも施しを受けていたのを恥じた、と読み取った

>190938
でも宗教者が儲けたらなんか言うでしょ
葬式仏教とか免罪符とか
[ 2020/07/16 ] ◆-

[ 191038 ] NO TITLE

未熟者だから、修行しているのでしょう。
「幽霊」が、まったく普通の人と同じように認識される、というのは、
地味に辛そうです。
[ 2020/07/16 ] ◆-

[ 191068 ]

190938
托鉢は物乞いとは違う

そもそも托鉢は生活の糧を得ることだけが目的ではなく、施す側にとっても功徳を積む修行という意味がある。
欲に駆られて金や物に執着しそうになるのを、お坊様が救ってくれるわけです。
喜捨するチャンスを与えて下さっているのです。
なので施主は「善行を積ませて頂いてありがとう御座います」という気持ちで施します。
僧侶は施してくれた人に対し(感謝はしますが)お礼を言いません。
お礼を言ってしまうと一方的な施し、ただの募金活動になってしまうからです。
[ 2020/07/17 ] ◆-

[ 191071 ] NO TITLE

托鉢僧だと想ったら夜道怪だったりもするので
喜捨も大変じゃぜ
[ 2020/07/17 ] ◆-

[ 191473 ] NO TITLE

母がまだほんの少女だったころ。敗戦の傷も癒えきらない時代のこととて「もらい」(=貰い すなわち物乞い)と称して歩く人がまだ多かったそうな。
母の祖母、つまり私の曽祖母は情け深い性格で、見るからに年のいった者や傷痍軍人には惜しまず食料を分けてやっていた。(農家なので食べるものには困らなかった)
そんな曽祖母があるとき「もらいでがんす」とやって来た男をひと目見るや「かしぇげ!」(=稼げ! すなわち働け!という意味)と
けんもほろろに追い返したので、見ていた母は吃驚したそうだ。
その男は五体満足な上にまだ若かった(40代くらいか?)ので、『こいつは働ける人間』と判断してそうしたらしい。
その時代を生きた人なりの筋の通し方なんだと思う。
[ 2020/07/31 ] ◆-

[ 192733 ] NO TITLE

出家は衆生救済のため我々の代わりに修行してくれているからね。我々の側が『施す』なんて見当違いも甚だしい。けど、いっさいものを持たないはずの出家が日本では所有することを許されちゃってるから、乞食(こつじき)托鉢は禁止されちゃったりする。まあ義務じゃないから托鉢僧を無碍にするのも自由だけど、俺は一応気持ち程度受け取っていただき手を合わせるけどな。
[ 2020/09/09 ] ◆-

[ 198038 ] NO TITLE

>>192733
多分坊さんに言う『施す』に関しては古語の「恵み与える」や「他人のために(食料や金子を)用いる」という意味合いの『施す』が脈々と生き残っているだけだと。もう少し砕いて言えば『お布施』の『施』。
ただ得度・受戒どころか念仏もろくに知らない騙り坊主に似非坊主も多くいた事から、そういう場合は上から下への施しの意で使っていた事も考えに難くないと思います。
ありがたいという心がこもったものとそうでないもの。二つの『施す』が今も同時に使われ続けていると思うのですが如何でしょう?

余談ですが…当方子供の頃はお坊さんは偉いと刷込まれていた事もあり、親を説き伏せ希に来る托鉢僧へ(急だったのでお米を)喜捨しましたが、その時の若い坊さんの「チッ米かい!」という舌打が聞こえてきそうな顔が忘れられません。察した親が急いでちょいとお金を包んで頭陀袋に入れた途端に満面の笑顔でお愛想話まで始める始末。親への申し訳なさが加わり追い打ちヘイト。
その体験に加え当方やたら(生臭)坊主と偽托鉢僧集団の多い土地な事もあり、自分に「お坊さん云々」を刷込んだ婆には悪いですが、以降坊主を偉い、尊いと思う感情はほぼ皆無になりました。
勿論これは僧によると理解しておりますので、お近くの真面目に取り組んでいらっしゃる方へは、どうぞ変わらず尊敬の念を持ってお接しくださいませ。
[ 2021/04/04 ] ◆-

[ 198052 ] NO TITLE

お釈迦様の話

お釈迦様ご存命のころ、弟子を引き連れて各地を巡りながら、人はいかにして苦しみから救われるかを
滞在先の人々に説く布教をしておられました
当然、食料やら宿泊施設やらはすべて滞在先の善意の人々からの施しでまかなわれていました
お釈迦様のグループは当時でも有名だったし、当時の在家の民衆は僧侶に布施をして功徳を積むシステムを
知っていたので、行った先々で人々からは積極的に布施を受けられましたし、富裕者からも十分もてなされていました
※これが今も、僧侶は私有財産を持つべからずの戒律、修行としての托鉢、四国巡礼などでの「お接待」など
に受け継がれています

お釈迦様の一行がある日托鉢で見るからに貧しい村を訪れました
弟子のひとりが言いました
「お釈迦様、この村は貧しすぎて自分たちの食料にさえも難渋している様子です。村人たちに施しを受けないで済むように、ここは避けて通りすぎてあげてはいかがでしょうか」
お釈迦様は答えました
「いいえ。我々はむしろこの村でこそ施しを受けるべきなのです。
この村の人たちは前世で他人に布施の徳を積まないで死んだため、今生でこのような貧苦にあえぐはめになりました。ここでその流れを断ち切って、あえて托鉢を受け、彼らに布施の徳を積ませてやらなければいけません」
そしてお釈迦さまはその村へ入っていかれました

経典にもお釈迦様や弟子にわずかでも布施をした人たちは大きな徳を積んだ話があるので、きっとこの村の人々もこの托鉢たった1回で貧苦の因果を断ち切ることができたでしょう


・・・ということなので、じじいの話、もしかして恥じたのは村の人の方だったのを
じじいか投稿者が聞き間違えたのかも?と思います
[ 2021/04/05 ] ◆-

[ 198058 ] NO TITLE

3.11の後、東南アジアのあまり豊かでない集落から日本円にして8万円ほどのお金が送られてきました。
その集落では一世帯あたりの平均年収が7万円ほどだといいますから、ものすごい大金です。
「少しでも復興の助けになれば」とお金を出し合ってくれたのだそうです。

布施というのは本来、このような精神の中に宿るものなのでしょう。
さらに、受けた我々が何を思い、どう行動するのか…これらをひっくるめて因果と呼んだリ、徳と言ったりするのかもしれません。
[ 2021/04/05 ] ◆-

[ 201939 ] NO TITLE

知人が大きな病気をしたので、数万円お見舞い金を渡した。
それ以来、ことあるごとにたかられます。
貯金が無い訳ではないのですが、喜捨だと割り切る事もできず。
凡人なので悶々としています。
[ 2021/09/09 ] ◆-

[ 201953 ] NO TITLE

201939さん たかりに来る奴を喜捨すればいいよ。
[ 2021/09/09 ] ◆-

[ 201961 ] NO TITLE

俺は去年知人の百姓爺さんから、

よい、あんた。農業委員の何某さん知っとろうが。あな (あいつ)は欲どい奴ぞ。

あなのお母さんがのうなった(亡くなった)時にワシは香典で一万円包んで渡したのに、
ワシのお母がこないだのうなった時には、あなの香典にお前、九千円しか入ってないんぞえ。

ワシのほうが先に渡したことがあるんじゃけんの。

ほた、中身がなんぼ入っとったかは、わ(本人)が知っとんじゃけん、
普通に考えたらついな金額分(同じ金額分)を容れて渡すもんじゃろが。

…その前はあなが癌の手術で入院した時にの、
あなが病院からワシのとこに電話がかけてきての、

今、癌で入院しとるけん集落の組みの者だけでええけん、
戸主各位見舞金を一万円くれ言うての、

バカが自分からぬかしおったわい、金額まで指定してきてのう。
どうべらこい奴よ…あのよもだは!

ほて、お返しは何にもないけんの。
まあ、お返しを期待してやったことではないけど、ほやけど人の付き合いじゃけんのう。

せめて、退院した後に組み内の毎月の常会の時にでも皆にお礼言うて、
頭のひとつ下げといたら済むことやのにそれもなかったけんの。

どんな人間か、よう分かったわいえ。

…言うてグチ聞かされたわ。


[ 2021/09/10 ] ◆-

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