怖い話&不思議な話の投稿掲示板
投稿者「かれき ◆UtLfeSKo」 2019/02/05
『ホラー映画を見に行かないか』 と誘われた。
彼女は八坂。自称見える人だ。
以前趣味である心霊スポット巡りをしている最中に偶然出会ったのだが、その後同じ大学の学生であることを知り、度々会ったりしている。
その日は学食に呼ばれ、一緒に昼食を食べていた。
何でも近日、映画研究部と演劇部が共同で上映会を開くらしい。演劇部には彼女の友人が所属しており、見に行きたいのだそうだ。
「由美は、『見に来るな』 って言ってたんですけど……」
言いながら、彼女はおずおずと上映会のパンフレットを差し出した。
血濡れの雪だるまのイラストと共に上映項目が書かれている。十五分から三十分ほどのショートフィルムが三本。上部には、『クリスマス前にもっと涼しくなりませんか?』 とあって、どうやら三本ともホラーものらしい。
上演項目は上から、
『○○オブザデッド』(※○○には大学名が入る)
『見るな』
『ツナグ電車』
「飯野はどれに出るんだ?」
演劇部の友人は飯野由美という名前で、自分も面識がある。
「それが、何も教えてくれなかったので……」
恥ずかしいから、というわけではないだろう。いや、それもあるかもしれないが。おそらくは、見える人であるにも拘らず極度の怖がりである八坂を心配したのだ。実際、以前映画の話をした時もホラーは心底苦手だと言っていた。
「大丈夫か?」
「え?」
「三つとも、ホラーものらしいけど」
彼女が俯く。
「たぶん、大丈夫じゃないと思います……」
大丈夫じゃないらしい。
「なので、あの」
声が徐々に小さくなっていく。
「……その、」
というわけで、見に行くことにした。
数日後。上演開始は午後六時。場所は大スクリーンがある大学D棟二階の視聴覚室。
その日一日の講義が終わった後、待ち合わせ場所の学食前に行くと、入り口脇のベンチに何故かメガネとマスクをつけた八坂が座っていた。
「風邪か?」
声を掛けると、彼女はこちらをちらりと見やり、俯いてしまった。
やはり体調が悪いのだろうか、重たそうにメガネとマスクを外す。
「やっぱり、分かりますよね」
「ん?」
「変装してたつもりなんです……」
「ほう」
別に風邪を引いているわけでもなく、眼鏡も伊達らしい。加えて、服も新しいものなのだそうだ。
「由美にはバレないように、こっそり見に行きたくて」
「別に、隠れる必要はないんじゃないか」
「見に来るなと、言われてしまったので……」
「そうか」
「あと、悲鳴を上げてしまうかもしれないので。いえその、悲鳴だけなら、まだいいんですけど……」
そういった諸々の理由からバレたくないらしい。
そこまでして見に行きたいのか、とは訊くまい。そこまでして見に行きたいのだ。
「帽子を被った方がいいかもしれないな」
今のままでは、顔は隠せてもシルエットで分かる。特に頭の形や髪型は人を判別するうえで重要なポイントだ。そもそも自分ですら分かったのだから、古い友人の飯野なら遠目でも気付くだろう。
「帽子、ですか」
「持ってないか」
そういえば、帽子なら自分が持っていた。最近寒くなって来たので防寒用に持ち歩いていたのだ。
ただ、帽子は帽子でも目だし帽である。
取り出して、彼女に見せる。
「こういうのなら、あるけど」
三つの穴が開いた青い目出し帽。強盗犯が良く被っているヤツだ。
八坂が帽子をじっと見ている。
出しておいてなんだが、さすがに女性にこれは無いか。
「……あの」
八坂が言った。
「これ、田場さんと、初めて会った時の帽子ですよね」
「ん?」
「八つ坂トンネルで」
「あー……」
しまった。
忘れていたが、確かにそうだ。彼女と初めて出会った時、これを被っていたせいでえらく怖がらせてしまったのだ。
自身のことながら相変わらず気が利かない。
そんなことを思いながら帽子を仕舞おうとすると、彼女が手で制した。
目出し帽子を両手に、ゆっくりと頭を入れる。
「……どうですか?」
強盗犯が一人、出来上がった。
しかもサイズがあってなく、目だけしか出ていない。
これでは逆に要らない注目を集めてしまうだろう。その前に上映室からつまみ出されても不思議ではない。
「これは、怖いな」
「はい」
というわけで、帽子の下半分を折り上げ普通のニット帽のようにした。加えて眼鏡とマスクをつけると、さすがに誰か分からない。
「いいんじゃないかな」
近づいて見られない限り、たぶんバレないだろう。
「あの……」
「ん?」
「帽子お借りします」
「うん」
「隣で、うるさいかもしれませんけど」
「うん」
「……もし気を失ったら、お願いします」
「うん」
そんなこんなで、変装した八坂とD棟へ向かう。
上映十五分くらい前に会場である視聴覚室に入ると、すでに室内には多くの人の姿があった。大半は学生だが、明らかにそうでない風貌の者も居る。
一番後ろの端の方の席が二つ空いていたので、並んで座る。
八坂によると、演劇部と映画研究部は毎年二、三回ほどこうした上映を行っており、対外的にも中々好評なのだそうだ。
その内上映時間となり、両部長の挨拶後、室内の明かりが落とされた。
隣の八坂を見ると、息苦しいのか暗がりの中マスクだけを外していた。悲鳴を上げるつもりならつけていた方が、とも思ったが黙っておく。
昭和映画のような古めかしいカウントダウンの後、一本目が始まった。
『○○オブザデッド』
題名の通り、有名な某ゾンビ映画のオマージュ的な作品で、街中にゾンビが溢れ、逃げてきた学生数人が大学に立てこもる、という内容だ。
短い尺の中でバリケードを作ったり、無人の売店から物資を調達したり、登場人物同士の衝突があったりと割と真面目なゾンビ映画だ。また、ゾンビの中に知人を見つけたり、教授が出演していたりと内輪ネタも楽しめた。
ただ、飯野が出ていたのかどうかは分からなかった。ゾンビ役の中に居たのかもしれないが。
八坂に尋ねようと横を見ると、彼女は両手で帽子を掴み、耳と目を隠すようにしていた。一応薄目で見てはいるようだが、ニット帽が強盗帽に戻りかけている。
映画のオチは、一人生き残った主人公らしき女学生が視聴覚室に逃げ込むと、そこにはスクリーンで映画を見るゾンビたちの姿があり。上映されているのは、『○○オブザデッド』 というかなりメタ的なものだった。
最後のオチは賛否両論あるだろうが、面白かった。ゾンビのメイクについては言うまい。
拍手の中、隣の八坂が胸に手を当て深く息を吐いている。何とか乗り切ったようだが、この調子で最後まで持つのだろうか。
休憩も挟まず、すぐに次の作品が始まる。
『見るな』
題名の後、スクリーンに一人の女学生が映し出された。
「あ、」
八坂が小さく声を上げる。
映っているのは飯野だった。彼女が二作目の主役か。
どうやら自宅のアパートに戻って来た場面らしい。バッグから鍵を取り出しながら、部屋の前で飯野が立ち止まる。
ドアの前には一枚の張り紙が貼られていた。年の変哲もないプリント用紙に手書き文字で一言、
『見るな』
「……何これ」
一瞬不審げな顔を浮かべた後、張り紙を破り取る。四つ折りにして上着のポケットに突っ込み、鍵を差し込みドアを開く。カメラがその脇をすり抜けるように、彼女を映しながら先に室内に。次いで飯野が入ってくる。
彼女が玄関のカギを掛け直し靴を脱ごうとした時、かつん、と音がした。
どうやらポストに何か投函されたらしい。振り返って手に取る。無地の封筒。中身を取り出す。白い紙だ。肩越しに、紙に書かれた文字がアップで映される。
『見るな』
「……何なのもう」
悪態をつきながら、彼女が玄関を見やった。覗き穴から外を覗くが、誰も何も居なかったらしい。ドアから顔を離し、チェーンを掛けて部屋に上がる。
ここで気付いたのだが、この映像はワンカットムービーのようだ。カットを挟まず、彼女が動くとカメラも付いて行く。
居間に入り、髪をかき上げバックを無造作に放り投げる。
そのまま彼女は固まった。
部屋のテーブルに一枚の紙が置かれている。
『見るな』
口元に手をやり、部屋を見回す。そうして、焦った様子で先ほど投げたバッグをひっつかみ、中から携帯を取り出した。警察に通報するつもりなのだろう。
砂嵐の音。
突然の大音量に彼女の身体がびくりと震える。
カメラがパンし、部屋のテレビを映す。
画面には様々なフォントの『見るな』 の文字が次々と現れて消えていく。
携帯を操作するのも忘れ、テレビから離れるように、一歩二歩、彼女が後ろに下がった。踵を返し、部屋を出て玄関へ。アパートから出るつもりか。
カメラがそれを追うと同時に、短い悲鳴が上がった。
玄関の前で、彼女が立ち尽くしている。
肩越しにドアが映る。そこには何枚もの『見るな』 の貼り紙。前のシーンでは、そんなものは無かったはずだ。
彼女が混乱した様子でチェーンと鍵を外し外へ出ようとする。
ドアが開かない。ドアノブは回るが、扉が動かない。
「なんで、なんで」
ドアから離れ、再び携帯を手にどこかへ電話を掛ける。携帯を耳に、目を閉じ片手を胸に当て、数秒。
「あっ、警察ですか? 私……」
一呼吸の沈黙の後、「ひっ」 と声を上げ、彼女が携帯を放り投げた。
携帯が廊下の隅に転がる。画面は通話中。彼女は何を聞いたのか。目を閉じ耳をふさぎ蹲っている。
居間からは相変わらず大音量の砂嵐。
蹲った彼女が、何事か呟く。
「……落ち着いて落ち着いて、大丈夫、悪戯だから、悪戯。だから落ち着いて。玄関からは鉢合うから駄目。窓から、外に……」
深く息をして乱れた呼吸を整える。目を開け、耳から手を離し胸に当て、「……大丈夫」 と一言、立ち上がった。
彼女が目を見開く。その目には、混乱と教学と恐怖。怯えたように、再び目を閉じる。
「見てない……、見えない……」
震えた声で呟く。目を閉じたまま壁に手をつき、よろけた足取りで居間へと向かう。カメラはそれを正面からとらえている。
彼女が部屋に入ると同時に、室内の様子が映し出される。
壁にもカーペットにも家具にも天井にも。
砂嵐の音の中、居間は『見るな』 の文字で埋め尽くされていた。
その中を、手探りでほとんど泣きそうになりながら彼女が歩く。
砂嵐の音が止んだ。
いきなりの静寂に、彼女が立ち止まった。何かに耐えるように、口を真一文字に結んでいる。
そうしてゆっくりと目を開け、テレビの方を見やった。
画面に映っていたのは、彼女自身。
天井の端から見下ろす映像。『見るな』 という文字に埋め尽くされた室内で、彼女が一人、呆けたようにテレビの画面を見つめている。
その内テレビの画面が切り替わり、今度は彼女を背後から映した映像。彼女が振り返ると、テレビの中の彼女も振り返る。リアルタイムの映像、隠しカメラでもあるのか。
テレビ画面は次々と切り替わり、廊下から居間に向かっての映像。ベランダからガラス越しに、カーテンの 隙間を縫って室内を映したもの。至近距離から撮ったような、彼女の上半身のアップ。
どれもリアルタイムの映像のようだが、カメラらしきものは見えない。
映像が棚に飾ってある猫の人形からのアングルに変わった時、彼女が叫び、人形を掴んで裂き始めた。床に 押し付け目玉をちぎり、開いた穴に指を突っ込んで中のワタを引き出す。
室内のテレビ画面は、彼女が人形に手を伸ばした瞬間次の映像に切り替わり、今は人形を解体する彼女を淡々と映している。
結局、どれだけ裂いてもカメラ等は見つからなかったようだ。
ズタボロになった人形を前に、彼女が肩で息をしている。
その内、はっとした様に顔を上げると、テレビ画面を茫然としたように見やり、次いであちこちに視線を向け、叫んだ。
「見るな!」
もつれながら立ち上がり、居間を飛び出し廊下から風呂前の脱衣所へ。カメラが後ろを着いて行く。
彼女が洗面台に突っ伏し、えずく。しばらくそうした後、涙と口元をぬぐい、顔を上げ目の前の鏡を見やった。
鏡に映った彼女の視線が、自身の背後、カメラの方に向いている。斜め下からの撮影のためカメラマンは鏡に映っていないが、スクリーンの前の観客は彼女と目が合う、そんな構図だ。
「……見たな」
彼女が振り返ってカメラを捕まえる。
レンズに彼女の爪が当たった瞬間、画面が暗転した。
これで、終わりの様だ。
いささか唐突な終わり方で事件の背景も何も分からなかったが、映像の迫力はあった。特に部屋全体に『見るな』 の文字が現れたシーンは、どうやって撮影したのだろう。
隣の席を見やると、八坂がぽかんと口を開けたまま暗転したスクリーンを見つめていた。もしかして失神しているのかとも思ったがそうではないようだ。
こちらの視線に気づいた彼女と目が合う。
「感想は?」
小声で訊くと、八坂は伊達眼鏡の奥で目を瞬かせながら、
「……怖かったです」
と言った。
「映っている人が、由美なんですけど、由美じゃないみたいで」
「演技だからな」
彼女には、映っていた女性が自分の友人に見えなかったようだ。自分としては、普段の飯野とそう変わらないように見えたのだが。
内容については、言葉を濁していた。
そんなこんなを小声で話している内に、最後の映画が始まる。
『ツナグ電車』 は一つの駅を舞台にした、一組の男女の物語だった。
全編を通してセリフは無く、音楽とホームの映像とで構成されていた。
中学生くらいの男の子と女の子が、朝のホームで仲良くしゃべりながら電車を待つシーンから始まり。お互い着かず離れずの高校時代。卒業と別れ。
おそらく年単位の時の流れと、一日の移り変わりをリンクさせているのだろう。再会、恋人同士となり青空の下電車でどこかへ遊びに行く二人。やがて結婚し、子供が生まれ家族で旅行へ。そうして夕方、孫らしき子供を見送る。その頭には白髪も増えている。
そうして夜中、杖を突いた老人が一人駅のホームに座っている。白いひげを蓄えた男。記憶違いでなければ、最初の朝のシーンにも同じ老人が座っていたはずだ。
老人は一枚の写真を手にしている。一組の夫婦の写真。
そこへ電車がやって来る。最終便だろうか、停車しドアが開くと、ほとんど空の一両編成に少女が一人乗っていた。
少女が老人に微笑みかけ、手を伸ばす。
しばらくの間。ベルの音と同時に老人は立ち上がり、少女の手を取る。
電車が走り去り、ホームには誰も居なくなる。
その後、駅員らしき人物が出てきて、誰も居ないホームを眺めて首をかしげた。
終わりの文字。
スクリーンが暗くなり、視聴覚室が明るくなる。
すべての上映が終わったようだ。
隣を見やると、八坂が頭の帽子をひっつかみぼろぼろ泣いていた。感動というよりは不穏な終わり方だと思ったのだが。感想は人それぞれだ。
上映終了後、スクリーンの前に映画研究部と演劇部の両部員たちが並び一言二言感想と謝辞を述べた。中には映画の中で見た顔も、もちろん飯野由美の姿もあった。
「二本目の『見るな』 に出ました、飯野です」
自身の挨拶の番になり、彼女が話し出す。
「実は、あの作品って元ネタになった事件があって、今回の撮影現場が、その元ネタの事件の現場なんです」
その言葉に、会場が少しざわついた。
「で、撮影中私も少しおかしくなっちゃいまして、普段ならしないような演技とか、本当に吐いちゃったり、ガチで悲鳴を上げちゃったり」
そこで彼女がちらりとこちらを見やった。いや、一瞬だけだが、確かに睨まれた。
「しかもそれが私だけじゃなくて、……他の、撮影してくれた彼も、編集頑張ってくれた○○君も、体調を崩してしまって。もしかしてこれは呪いのビデオを作成してしまったんではないかと思いまして、なのでこれはヤバいぞーと、部長に頼んで、題名を変えてもらったんです。『見るな』 って……、なのに……、皆さん、見てしまいましたね」
一つ間を置いて、彼女がにやりと笑う。
「ホント、ありがとうございました」
はじけるような笑顔で、彼女が笑った。その笑顔をきっかけにほっとしたような拍手と笑いが起こる。
隣を見やると、ようやく涙が収まったらしい八坂が、赤い目のまま懸命に拍手している。
「飯野は、演技派だな」
「私も初めて見たんですけど、何だか、女優みたい」
「来てるのは、バレてたみたいだな」
「え?」
「たぶん。さっき、睨まれた」
「え」
八坂がスクリーン前の飯野を見やる。睨まれたのは先ほどの一瞬だけで、今は何食わぬ顔をしてにこにこ笑っている。やはり、演技派だ。
「……怒ってますかね」
「どうだろうな」
「映画のことはずっと、見に来るなって言われてたので」
それを今日、初めて見に来たわけだ。
しかしながら、八坂に後悔している様子は無い。
スクリーン前では全員の挨拶が終わり、最後の拍手が起こった。観客が席を立つ。その後は八坂と話をして、D棟入り口前で飯野を待つことにした。
八坂が携帯にメッセージを入れたら、『5分待ってて』 と返事が来た。
外はすでに夜になっており、星の無い空にぽっかりとした月が浮かんでいる。
「何が一番面白かった?」
飯野を待つ間、隣の八坂に尋ねる。
「……面白かったのは、最後の『ツナグ電車』 です」
反応から、そうだろうなとは思っていたが。
「飯野が出てたヤツじゃないんだな」
「あれは、由美の演技はすごかったんですけど、内容が分かりにくくて、面白くは……、あいえ、あの、田場さん、これ……」
「分かってる、飯野には言わない」
「はい」
現在八坂はマスクもメガネもつけていないが、帽子は未だ彼女の頭の上だ。映画鑑賞中に散々掴まれ引っ張られたためか、若干強盗が顔を覗かせている。
「あ、これ」
視線に気づいてか、彼女が帽子に手をやる。
「ありがとうございます。洗って返しますから」
「別に洗わなくてもいいよ」
「いえ。あの、涙とか、拭いちゃいましたから」
帽子を脱ごうとして、彼女が固まった。
「あの、この帽子」
彼女が言う。
「……この帽子、家に帰るまで、被っていてもいいですか?」
普通に、「いいよ」 と応えかけて、寸前で止めた。
八坂が顔を伏せている。
「あげるよ」
代わりに、そう言った。
「え……」
「君が、気に入ったのなら」
クリスマス。あの子に贈った、目出し帽。
そんな一句が頭をよぎり、そう言えばそろそろクリスマスなのかと思う。
八坂が、言いかけた言葉を飲み込んだ。
「……大事にします」
代わりに、そう言った。
常識的に考えて、女の子への贈り物に使い古しの目出し帽はどうか。しかし、大事にしてくれるのなら、こちらが言うことは何もない。心なしか目出し帽の目元もほころんでいるように見える。
D棟入り口から、呆れたような顔の飯野が出てきた。
「こんばんは、お二人さん方」
飯野が言った。そうしてこちらににこりと笑顔を向け、次いで八坂をじっとにらんだ。
「見に来るなって言ったでしょ。しかもよりによってこんな回で……」
「ごめん。でも、良かったよ」
「良かったって……」
「すごく、面白かった」
八坂の言葉に、飯野が「ふー」 と息を吐く。そうして呟くように、
「あんたを失神させるほどじゃなかったか……」
それは反省だろうか、安堵だろうか。
「八坂のこと、最初から気づいてたのか」
気になったので訊いてみた。
「いえ。でも、田場さんが女と入って来たのは見えたので。そうだろうなと」
それは信頼だろうか、釘を刺されているのだろうか。
しかし、八坂が心配していたほど怒っている様子はない。
飯野が八坂の被っている帽子に目をやった。
「けどコレ……、顔を隠すにしても、こんなのどこで買ってきたの」
「あ、これは、田場さんが」
八坂がちらりとこちらを見やり、
「……田場さんが、くれたんよ」
数秒の間。
飯野が目出し帽に手を伸ばし、織り上げていた部分をつまんでずり下げた。再び強盗が一人出来上がる。しかも今度は目の穴の位置も合っていない。
飯野がこちらをじろりとにらんだ。
言いたいことは分かる。しかし、仕方のない流れがあったのだから、仕方がない。そこは彼女も察してくれたらしい。目を閉じ半笑いで首を横に振った。
「良かったじゃん」
言いながら、飯野が帽子を折り上げ元のニット帽に戻す。強盗帽の下から出てきた八坂は、困りながらも嬉しがっているような、そんな笑みを浮かべていた。
その後、飯野は打ち上げがあるということでD棟に戻り、八坂と二人で自分が住むアパート近くのバス停まで一緒に歩くことにした。
道中、話題はやはり今日見た映画の感想だ。一番面白かったの最後の一本だが、八坂が口にするのはもっぱら友人の出ていた作品だった。
「展開が、面白かったです」
「部屋中に『見るな』 って書かれてたのは、どうやったんだろうな」
「スタッフが隠れてたんでしょうか」
「短時間だったから、どうだろう。うまくカットで繋いだのかな」
「切れ目は無いように見えましたけど」
「うん」
そんなこんなを離しながら、二人、夜道を歩く。
「……私も小さい頃、よく、『見るな』 って言われました」
その内、隣の八坂がふとこぼした。
「背後霊でも見えてたのか」
「あ、いえ。そういうのでは無いんですけど。……私が、怖がって泣いてた時に、よく母に言われました」
彼女が小さく笑う。
「怖いと思うから怖いんだ、見ようと思うから見えるんだって。だから、怖がるな、相手にするな、見るなって」
「単に、見るなと言われてもな」
「……なので、じゃあ目を悪くしようと思って、暗い部屋で本を読んだりしてたんですけど、全然悪くならなくて」
「今、視力は?」
「両方2.0です」
「ほう」
それは良く見えるのだろう。
「歳をとれば見えなくなると聞いたことがある」
「そうだったら、いいんですけど……」
「歳が関係あるなら、老眼と同じ理屈かな」
「だとしたら、まだ少し先ですね」
残念そうに、彼女が言った。
「八坂は、見たくないのか」
訊いてみた。
「……田場さんは、見たいんですよね」
「まあ」
「私は……」
そこで、何故か口ごもる。
「私は、あんまり、見たくないです」
「そうか」
「克服出来たら、一番いいんですけど」
「それも、今日の映画も見に行こうと思った理由か」
「そうですね。それも、あります」
それから映画から少し離れて、互いの話をした。
彼女は一見後ろ向きな性格に見えるが、実は意外と頑張り屋で、危なっかしくではあるが前に進もうとしている。少なくとも、自分と出会ってからの彼女は、そうだ。
いつの間にか、自分の住むアパート近くのバス停までやって来ていた。
八坂はここからバスで帰るとのこと。
「八坂」
「はい?」
二人でバスを待ちながら、訊いてみる。
「二十四日は空いてるか」
「……二十四日、ですか?」
「うん」
「空けます」
「いいのか?」
「いいです」
「なら、どこか遊びにでも行こうか」
「……はい。行きましょう」
後のことはまた後日決めることにして、その後、彼女は青い帽子を被ったまま、丁度やって来たバスに乗って去って行った。
バスが完全に見えなくなり、地面に向けて息を吐く。映画を見ただけなのに、えらく疲れた。まあ面白かったことは確かだが。
「……おい」
後ろから、声を掛けられた。
振り返ると、アパート隣人のヨシだった。片手にビニール袋を下げており、どうやら買い物帰りらしい。
「おいおい」
言いながら、こちらにずかずかと近寄ってくる。
「おいおいおい」
そうして、奴は目の前までやって来ると、空いている方の手をこちらの肩に乗せた。
奴の顔に満面の笑みを浮かぶ。
「見たぞ」
「見るな」
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