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投稿者「実葛 ◆9uasZO6A」 2018/12/26
とある清流沿いの集落で聞いた話。
昔、干魃からくる飢饉がその集落を襲った。作物は枯れ、人々は山や川から、食べられるものを手当たり次第取っていった。
そのせいで、清流にあれほどいた魚たちは、たちまちのうちに姿を消してしまったという。
あるとき、飢えた若者が食べるものを求めて川中を歩いていた。魚はいなくとも、エビやカワニナなどないかと思ったのだ。
しかし、干魃で水量が減った川は水ばかりが澄んで、生き物の気配は何も感じられなかった。
落胆して水から上がろうとした時だ。
視界の隅で何かがキラリと光った。
何かと思い近づくと、そこには一本の黒糸が、水面を漂っていた。女の髪のようにも、絹糸のようにも見えた。
このような細い糸が目にかかったとは不思議なことだと、若者はそれを手にとってみて驚いた。
糸の長さは尋常ではなく、川をずっと遡った先まで続いていそうなほどだった。まるで、川の上流で誰かが糸巻きを解いているようだっという。
少し強く糸を引くと、何かが先にあるのだろう、糸はピンと張った。糸はしなやかだが強く、引く手に力を込めても切れそうな気配はなかった。
空腹で動くのも億劫なはずの若者は、なぜかその糸を手繰って、川を遡りはじめた。
ゆっくりと一時間ほど歩いただろうか。川幅は狭くなり、かなり上流に来ていた。川はゆるく弧を描き、深い淀みができている。若者が手繰る黒い糸は、その淀みで途切れていた。
若者は淀みを覗き込み、目を見張った。
そこには、ひと抱えもありそうな大きな真鯉が、静かに水中にたゆたっていた。そして若者が手繰ってきた黒い糸は、その鯉につながっていた。
鯉は、まるで布がほつれるようにその身を糸に変え、淀みから下流に流していたのだ。尾びれからほつれていったのだろう、体はもう、胸びれから上しか残っていなかった。
呆然と若者が見守る中、鯉はどんどんほつれて行き、そしてついには消えてしまった。
鯉が変じた糸は、一本の線となってゆっくりと下流に流れていった。
ふと若者は、先ほどまで鯉の姿があったあたりに、一枚の丸いものが浮かんでいるのに気がついた。それは手のひらの半分ほどもある、一枚の鱗だった。
若者は、今見たものの証拠にと、その鱗を持ち帰った。
それから二、三日して、飢えにあえぐ村に恵みがもたらされた。川から、大量の鯉が獲れるようになったのだ。
若者は、あの時鯉がほつれてできた糸が大量の鯉に変わったのだと信じ、拾った鱗を祀って祠を建てたという。
「鯉の大漁のすぐ後には、大雨も降って日照りも解消されてな」
老爺は村の伝説を、つい最近のことのように嬉しそうにそう語った。
「鯉さまさまですね」
「おうよ。あの鯉は、多分天に登って龍になるのに、いらなくなった体をわしらにくれたんじゃろう。今でもこの辺りじゃ、鯉を大事にしよる。なあ」
老爺は庭の池に語りかけた。私もつられて覗き込む。
池の中では、見たこともないような立派な真鯉が、まるで返事をするように尾びれをくねらせていた。
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