怖い話&不思議な話の投稿掲示板
投稿者「かれき ◆UtLfeSKo」 2018/12/19
『がなり岩』 と呼ばれる岩がある。
近年ラフティングで有名となった川の上流部分。大きな岩がごろごろしている渓谷の中でも一際大きく、川に向かって突き出だしている岩が、それだ。
岩には謂れがある。
大昔、川沿いの集落にひどくうるさい一家が住んでいた。夫婦に子供一人の三人家族だったそうだが、この家がとにかく声が大きくやかましく。話し声、笑い声、ケンカの声、赤ん坊の泣き声。谷間という地形のせいもあったのか、小さな集落に住む者全員がその騒音に悩まされており。近所の住人など、耳を悪くしたり寝込んでしまう人も居たそうだ。本人たちに注意をしても、その場でお前が悪いあんたが悪いの大ケンカが始まりどうにもならず。
困り果てた人々は集落で祀っていた水神にあの一家をどうにかしてほしいと願を掛けた。
するとその夜のこと。
集落に突然大雨が降り、山手の方からこの世のものとは思えないほどの地響きと、轟音が聞こえたという。
人々が外に出てみるとあの一家の家が跡形も無く消えており、川べりには今までは無かった大岩が転がっていた。
願いを聞き入れた水神が、一家をまるごと川底へと連れ去ったのだ。
その後集落の人々は水神への感謝と一家への後ろめたさから、岩の上に小さなお堂を立て、地蔵を祀った。
そうして集落には静寂が戻った。かと思いきや。今でも時々、がなり岩から夫婦のケンカ声や赤ん坊の泣き声が聞こえるそうだ。
というわけで、聞きに行くことにした。
何も予定の無い土曜日。朝、朝食を済ませてから愛車のカブに跨り、大学近くのぼろアパートを出発した。
十二月初め。近頃めっきり寒くなった。冬が深まるにつれ、空気から色が抜けていくようだ。途中のコンビニでホットコーヒーを二本買い、飲まずに腹のポケットに忍ばせた。
川沿いの道を遡って行くにつれ、川幅は狭くなり、なだらな砂利の河原から、ごつごつした岩の並ぶ、深い渓谷へと変貌していく。
この川の特徴は何と言っても水量とその流れの速さだ。連続した瀬も所々にあるため、なるほどカヌーやボートで下れば面白いだろう。実際、この寒さの中、数隻のカヌーが川を下っているのを見た。
それからもうしばらく走り、時刻は十一時少し前。目的地に到着した。道路脇の駐車場にカブを停める。
『がなり岩』 の近くには一軒の蕎麦屋があり、店の中から直接岩を眺めることができる。
実を言えば、本日の目的は『がなり岩』 の観察ともう一つ、この店の蕎麦だった。
ガラガラと音のする扉を開け、店内に入る。まだ昼食には少し早いからか、店内に客の姿は無い。カウンター奥の厨房では小さな白髪の老婆が一人、鍋に向かって仕込みか何かをしていた。
店は彼女が一人でやっているらしい。
小さな頃から単騎での心霊・不思議スポット巡りを趣味かライフワークとしている身としては、ここには以前にも何度か訪れたが、他の従業員の姿を見たことは無い。
「どうも」
声を掛けるも、反応は無い。気にせず店の一番奥、川に面したテーブル席に座り、窓の向こうの渓谷に目をやった。
『がなり岩』 は店から丁度川を挟んだ向こう側に、川の流れを阻むようにずしりと身を横たえている。
卵を逆さに立てたような形をしており、大昔はもっと下太りだったのが、急峻な川の流れに割られ削られ今の形になったのだそうだ。
大岩の頂上には、まるで王冠のように小さなお堂がちょこんと乗っている。
店内は至って静かだ。どこからともなくがなり声が聞こえてくる。といったことも、無い。
谷底を流れ下る川の音はせせらぎというには少しばかり豪華だが、音自体が風景に溶け込んでしまっているのか、意識しないと耳に入ってこない。
しばらくぼんやりと川を眺めていると、ぱたり、と簡易戸が動く音がして、厨房からお盆と茶を持った老婆が出てきた。
背はそれほど曲がっていないが八十は軽く超えているだろう。失礼だが、前に来た時よりも縮んだんじゃないかと思う。彼女の背丈は自分が座るテーブルの高さとそう変わらなかった。
「はい、はい。何にしましょうか?」
茶を置いてから、老婆が言った。
「山掛けそばで」
若干声を大きく注文をする。
「はい、何ですか?」
「山掛けそばで」
「山掛けですか?」
「うん」
「すみませんねぇ、耳が遠くって……」
「いえ」
「はい、はい。山掛けを一つね」
確認するようにつぶやきながら、彼女はまた厨房に戻って行った。
そうして店内がしんと静まる。
『がなり岩』 の謂れに出てくる集落は、今はもうない。現在この辺りには川下り用のカヌー・ボート貸し屋に道の駅、民家は無くひと気のある建物はほとんど観光客向けだ。
夏になると、ラフティングの大会も開催され、この小さな谷間の町が人で溢れかえる。ただ、今の時期は至ってのどかで静かなものだ。
一羽のヤマガラが飛んできて、窓の縁にとまった。ちょこちょこと動き回り、こちらを見て不思議そうに小首を傾げ、「ちちち」 と一声またどこかへ飛び去って行く。
岩に変化はない。不思議な音は何も聞こえない。
その内、老婆が蕎麦を持って来た。
「はい。山掛けですよ」
ここの蕎麦は、おそらくつなぎを使ってないのだろう。普通の蕎麦より太く短く、すすれないのでせっせと箸で運ぶしかない。ダシはカツオだろうか。味の濃い葱と真っ白な山芋がたっぷり乗っかっている。
ぼそぼそとした蕎麦を山芋と一緒にかきこんでいると、店の戸が開いて郵便局員が入って来た。
「ばあちゃん、手紙だよー!」
怒鳴り声に近い、大声だ。
笑いながら、近所の住人のことらしい話題を一つ、ようやく客が居ることに気付いたようだ。
「あ、すいません。気付かなくて……」
「いえ」
そうして郵便局員は気恥ずかしそうにしつつも、再び老婆に向かって大声で、
「じゃあね、ばあちゃん。また来るからね」
「はい、はい」
郵便局員が店を出て行き、入れ替わりに外の冷気と再び静けさが入り込む。
蕎麦を食べ終わり、もうしばらく窓の向こうの岩を眺めてから、店を出ることにした。
会計をする際、カウンターの影に隠れて見えなくなっている老婆に向かって、ここ最近『がなり岩』 から妙な声がしたどうかを訊いてみた。もちろんちゃんと伝わるよう、耳元で声を大にして。
「聞かんですねぇ」
「そうですか」
「ほら、私、耳が遠いでしょう」
「はぁ」
「でもねぇ、主人にはよーう聞こえとったみたいですよ。夜中に起きて、あの岩に向こうて『うるさ、うるさい』 ってがなり返してましたから」
「ほう」
「それはまあやかましい人でしたけど、おらんなったら静かでねぇ」
そう言って、彼女はくしゃりと笑った。
夕刻。帰りがけにスーパーで食材を買い、大学近くのぼろアパートに戻ると、何やら隣の部屋がやかましい。
どうやら、隣人であるヨシの家に何人か集まって騒いでいるようだ。
面倒くさそうなので、帰ったと気取られないようそっと自宅のドアを開け、中に入る。
壁越しでも分かる騒ぎようだが、苦情を入れようものならそのまま引き摺りこまれるのが目に見えているので、気配を消しつつ電気も最小限で過ごすことにする。
しかしながら、角部屋でさらに隣人が自分だからなのだろうが。遠慮というものが全くない。
その内、ガラガラと隣の部屋の窓が開く音がした。
「おい、さみぃから開けんなよ」
「濁った空気の入れ替えす。……ありゃ?」
大学後輩の銀橋と隣人のヨシの声。他にも誰かいるようだ。
「ヨっさんヨっさん」
「何だ何だ」
「ほらあれ、先輩のカブがありますよ。さっきまで無かったのに」
「おっ、マジか」
「あー……、あ、先輩んち、ちょっとだけ電気ついてる」
「居留守使ってやがるなあいつ」
「……え、銀ちゃん、隣って誰かおんの?」
「先輩がおるね。で、どうしますヨっさん? あ、完全に電気ついた」
「こっちの声聞こえてんのかよあいつ」
「突撃します? あ、カーテン開いた。わー、せんぱーい、こんばんはー」
「……なあなあ銀ちゃん、ここの隣って、ひょっとして田場先輩?」
「そうそう。あ、カーテン閉まった」
「おーい、今からそっち行くからよー!」
「ヨっさんヨっさん、近所迷惑近所迷惑」
「酒もってくからよー! 何か作ってくれー!」
「ヨっさんヨっさん」
「え……、今から行くん? 大丈夫なん銀ちゃん? やっぱ迷惑なんじゃ?」
「あ、それは大丈夫。先輩本気で嫌な時は居留守使わないから」
「あとお前今日も妙なとこ行って来たろおらー!」
「ヨっさんヨっさん」
窓を開けて、石でも投げてやろうかと思った。
次の記事:
『猿の化け物』
前の記事:
『海外から日本の田舎に引っ越した』