怖い話&不思議な話の投稿掲示板
投稿者「かれき ◆UtLfeSKo」 2018/11/21
『猫又ではないか』 という噂の猫が大学に居る。
ホルスタインのような模様をした白黒の猫だ。老猫らしいが、詳しい年齢は不明。在任期間の長い教授や事務員、留年組にも聞いてみたが皆同じく、『いつの間にか居た』 そうだ。
加えて性別も不明で、オスであるという人も居れば、メスだという人も居て、呼び名も『コマ太』 と『タマ子』 の二つある。もしかしたらそっくりな猫が雄雌一匹ずつ居るのかもしれないが。ちなみに自分が見たところではオスだった。
性別年齢不詳の他にも不思議な点はまだある。
まず、誰にも懐かない。
長年餌をやり続けている事務員すら、直接触れたことは無いそうだ。触れようとするとのそりのそりと離れて行き、追いかければ煙のように消える。
さらに猫は写真を嫌う。
以前写真部が『吾輩は大学に住み着いた猫である』 といったタイトルで写真集を作ろうと企画したところ、猫はカメラから逃げ回り、遂に一枚もちゃんとした写真を撮ることは出来なかったそうだ。
学生が携帯を向けた場合も同様で、まず画面に捉えることができない。極度の恥ずかしがり屋か、もしくは魂を吸い取られると信じているのか。
それら普通の猫とは思えない挙動から、『猫又ではないか』 との噂がまことしやかに語られている。
猫を初めて見かけたのは大学に入学してまもなくの頃だった。
昼、ピロティで同じ新入生グループで飯を食べていた時、一匹の白黒猫がテーブル脇をのそのそと横切って行った。
「あの猫、校内に住み着いてるんやってさ」
と誰かが言った。
「人に懐かん猫で、百年生きとるらしい」
「百年は盛りすぎだろ」
「先輩がそう言うとったんよ。あ、あと写真が嫌いやって」
そうした同級生の会話に耳を傾けながら、持参してきた握り飯を齧りつつ猫を眺める。ピロティには自分たちを含め多くの学生が居るが、猫は何一つ気にしていないようだった。
面白がったグループ内の一人がテーブルを離れ、「チッチッチ」 と舌を打ちながら手を伸ばした。しかし猫は見向きもしない。
別の一人が携帯のカメラを構えた。その瞬間、猫がぐんと伸びた。余りに早く逃げ去ったので、そう見えたのだ。
「撮れた?」
「いやー、あれはちょっと無理」
「ホンマに写真が嫌いなんやな」
猫はこちらを見てはいなかったはずだが。気配を感じたのだろうか。人に懐かないというのも、何となくそうなんだろうなと思えた。
「長く生きた猫って妖怪になるんだよな。あれ何ていうんだっけ」
「猫又」
答えると、周りの目がこちらに向いた。
「そうそれ。しっぽが二本に増えるんだよな」
「姿は、伝承や話によって変わるな」
「へー。田場ちゃんは、そういうのが好きなんか?」
「まあ」
小さな頃から不思議・心霊スポット巡りを趣味かライフワークとしてきた身としては、正直な所、彼らのことは放っておいて猫の後を追いたかったのだが、すでに猫の姿は見えずその日は諦めることにした。
以来、学内の様々な場所で猫と出会うようになった。
見かけた時はその場所と時間、挙動をメモし、あとで記録ノートにまとめた。
彼の縄張りは構内全体に及び、あちこちに寝床があるようだ。
何度か講義をサボって一日中彼の後をつけたこともあったが、建物の隙間を抜けたり、並木を伝って二階に上がったりと、その巡回ルートは人が追えるものではなかった。
また写真に関しては本当に徹底しており、遠く建物の陰からこっそり構えたとしても、必ず察知された。人に懐かないのも同じで、餌をちらつかせても無駄。ただ、寝床の傍に置いておくと、大体次の日までには空になっている。
観察を続けるうち、猫はこちらを認識したのか、出くわすと何となく嫌そうな顔をするようになった。とはいえすぐに逃げたりはせず、いつも通り手を伸ばせばひょいと避け、無理に追えば去り、カメラを向けると煙のごとく消える。
猫又は人を食うというが、確かに人を食ったような猫ではあった。
というわけで、二年ほどが経った。
その日、昼の講義を終えて一旦アパートに戻ろうとしていた時だった。
D棟横の桜並木の上に猫が居て、ひなたぼっこをしていた。
立ち止まり、下から見上げる。秋も進み空は高く、気温は低いがおかげで陽が温かく感じられる。猫は、張り出した一番太い枝の付け根に寝そべりしっぽを垂らしていた。
手を伸ばせばしっぽくらいなら届きそうだが、しない。今なら写真が撮れるかも、とも考えない。過去の経験から寝込みを狙ったところで無駄だと知っているからだ。
もしかしたら、彼は人の考えや企みが読めるのかもしれない、とも思う。
ぐだっと寝そべる今の姿は明らかにただの猫だが、少なくとも十八歳以上であるにもかかわらず、外見からはあまり老猫といった感じはない。
猫が薄目を開け、こちらを見やった。
「……田場さん?」
一瞬、猫に呼ばれたのかと思ったが、勿論そんなことはなく。横を向くと、見知った女学生が二人居た。
八坂真理と飯野由美。
以前、自分の趣味である心霊スポット巡りが原因で知り合ったのだが。
八坂は不思議そうに、飯野は明らかに『げっ』 といった顔でこちらを見ていた。
「こんちには」
「うん」
「……季節外れのセミでも居るんですか?」
「いや」
その内、二人とも木の上の猫に気が付いたようだった。
「あ、タマさん」
八坂が言う隣で、飯野が再び『げっ』 と口を歪めている。
するりと音も立てず、猫が木から降りてきた。そうして、のそのそと八坂の足元に近寄り、じっと彼女を見上げた。
「タマさんも、こんにちは。お昼寝してた?」
彼女がしゃがみこみ、その喉を撫でる。
猫はしばらくの間大人しく撫でられた後、近くの休憩用ベンチに飛び乗り、その上に座った。ゆっくりとしっぽを振りながらこちらをじっと見やっている。
まるでこっちに来て座れと言っているようだ。
三人で顔を見合わせる。
「……真理、私、先に食堂行ってるから」
「あ、うん、ごめん。私もすぐ行くから」
「いいよ。ゆっくりして来なよ」
そうして飯野は、こちらに笑顔を向け、
「苦手なんです、ねこ」
さらりと言い残し、飯野は食堂に向かって歩き去って行った。
八坂ともう一度顔を見合わせる。猫は相変わらずこちらをじっと見ている。
「……座りますか?」
「そうだな」
自分が近づくと逃げはしないか。その心配は杞憂だった。猫を真ん中に挟んでベンチに座る。
「驚いた」
「え?」
「この猫は、人には懐かないと思ってた」
「そうなんですか?」
「うん」
実際この二年間聞き取りをした分では、存在自体は学内ほとんどの人間が知っていたが、猫に触れたことのある者は皆無だった。
「そうなんですか?」
彼女が同じ質問を猫にする。すると「ごろごろ」 と返事があった。肯定か否定かは分かりようがない。
「タマさんと呼ぶんだな」
「あ、えっと、聞いたところだと、私より年上だそうなので……」
「コマ太か、タマ子だと思ってた」
「あ。名前がたくさんあるんですね」
猫が立ち上がり、八坂の膝の上に移動する。
「よく懐いてるな」
「あ、あの、いえ、いつもはここまでじゃないんですけど……」
「最初からこうだったのか」
「最初は……、結構そっけなかったと思います。手を出しても逃げられましたし」
「ほう」
「話を聞いてもらっている内に、仲良くなったというか」
「話?」
「以前、……あの、ちょっと、人間関係で悩んでたことがあって……、誰にも話せなかったんですけど、その愚痴を聞いてもらったことがあって……その、」
その視線が下がり、声が徐々に小さくなる。
「それからも色々話を聞いてくれて、とても感謝してるんですけど……。何だか、今考えてみると、変な人ですね、私」
「そうか?」
別に猫好きなら話しかけるくらいするだろう。ただその様子からして、彼女は真剣に悩みを相談していたのかもしれない。
「ある准教授に聞いたんだが、その猫はよく講義を聞きに来るらしい」
彼女が顔を上げた。
「……講義を?」
「うん。始まる前に窓を少しだけ開けておくと来るんだそうだ。中には入ってこない。講義中は窓の傍でじっとしていて、終わると去っていく」
講義室は暖房が効いており、実際は暖を取りに来ているのだろう、そう准教授は話していたが、それだと特定の講義の時だけやってくることの説明がつかない。自分が調べたところ、彼が聞きに来るのは日本語史や近現代文といった文系の講義が中心で、他の授業には興味が無いようだ。
「もし彼が講義を聞きに来ているのだとしたら、悩み相談くらいは、朝飯前だろう」
加えて猫又は人語を操るとのことだ。
彼が本当に人語を理解しているのかどうかは、彼が日本語でしゃべり出したりしない限り確かめようがない。だからこそ、理解していると信じるのは、もしくは猫又ではないかと疑うことも、人の自由だ。
「だから、別に変じゃない」
八坂がこちらを見やり、それから膝の上の猫に視線を落とした。
そうして少し困ったように、くすりと笑った。
「ありがとうございます」
彼女が言った。
「……でも、あの、それだと、ちょっと困ります」
「ん?」
「人には言えないようなことも、色々、相談したので……」
一体どんな相談をしたのか。薄く赤くなっている八坂の顔を、膝の上の猫が見上げている。
「どんなことを、」
「絶対言いません」
猫が一つ、欠伸をした。
それからしばらくして八坂は飯野が待っているからと膝から猫を降ろし、こちらと猫にぺこりと頭を下げ食堂へと向かって行った。
そうして一人と一匹残される。
八坂が居なくなった途端、彼は距離をとりベンチの端でこちらに背を向け座り直した。
相変わらず、何とも人を食ったような猫だ。
「おい」
その背に声を掛ける。
「おい」
反応は無い。
「写真を一枚撮ってもいいか」
すると、その背がピクリと反応して彼が振り向いた。
顔が。嫌そうだ。
「人には見せない」
そもそも人間だって、無断で写真を撮られたり、触られたりするのは嫌だろう。人の言葉を理解するほどの猫なら、同じように感じてもおかしくは無い。
なので、事前に頼んでみた。
「いいか?」
猫がため息を吐いた。ように見えた。
そうしてまたこちらに背を向けると、しっぽを一度、ふいと振った。
携帯のカメラを構える。画面の中、猫は逃げない。
かしゃり。
写真の中央に、白黒の猫が背を向けて座っている。一枚だけという約束だったので、それ以上は止めておいた。
「……人には見せないと言ったが」
その耳がピクリと動く。
「さっきの彼女になら、見せてもいいか?」
威嚇のような鳴き声。
「冗談だ」
どこか、別の視線を感じた。
見ると少し離れたところに、二人の人間が呆けたように立っていた。
アパート隣人のヨシと大学後輩の銀橋だ。
目が合うと、奴らはわざとらしく慌て、
「俺は何も見てねーから!」
「あっ、僕も僕も」
そう言って、げらげら笑いながらばたばたと逃げて行った。
嫌な奴らに見られてしまった。
放っておくと、どんな話を言いふらされるか分からない。仕方がないが今日は酒と料理でも持って、説明と口止めしておかねばなるまい。
息を一つ吐く。
ふとベンチを見やると、いつの間にか、猫は煙のように消えていた。
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