怖い話&不思議な話の投稿掲示板
投稿者「かれき ◆UtLfeSKo」 2018/07/14
『男の幽霊が出るという噂の宿泊施設』 がある。
元々はとある町の町営施設だったのだが、今は民間に委託しているらしく。小さなダム湖を臨む場所に建てられた建物で、桜や紅葉の時期になると観光客で一杯になる、そんなごく普通の宿泊施設だ。
その三階の一番奥の部屋に出るらしい。
というわけで、見に行くことにした。
今回は泊りがけなので、出発は金曜日。午後の講義を済ませ、大学近くのぼろアパートを出たのが午後四時過ぎだった。
六月下旬。梅雨の真っただ中。その日も雨が降っていた。
ぱちぱちと雨粒が合羽を叩く中、愛車のカブで川沿いの道を走る。目的の町までは一時間半、チェックインは午後六時といったところか。
予約はすでに済ませてある。その際三階の一番奥の部屋を指定すると、「そこは今使っていないんですよ」 と返って来た。理由は雨漏りがするからだそうで、他の部屋が開いているのでそちらに、とのこと。雨漏りしても構わないと伝えると、「……はあ」 と電話の向こうから怪訝そうな声がした。妙な客だと思ったに違いない。
雨の中をひた走り、辺りが暗くなりかけた頃、宿泊施設のある町に着いた。
川に沿って街並みが続いていて、山間の狭く細長い町といった印象だ。
それからしばらく川を遡り、中規模のダムを渡った先に今日のお宿を見つけた。白い外観の建物で、少しばかり年季を感じる。
チェックインの前に、駐車場から目の前のダムとダム湖を眺めた。現在放流中で、石の壁から白いしぶきの塊が絶えず噴出し続けている。
三階の部屋に出る幽霊は元々長期で泊まっていた客らしい。宿泊最終日に、ダム湖に浮かんでいるのをバス釣りに来た観光客が見つけたそうだ。事故か自殺かは不明。ただ、その客が人生の最後の日々をこの宿泊施設で過ごしたのは間違いない。
建物の中に入る。ロビーには小さなカウンターと町の特産物が並ぶ売店。赤いソファーにテレビ。ピンクのダイヤル電話。飲み物とタバコの自販機。建物の外見同様、所々に年季を感じる。
チェックインを済ませ、部屋に案内してもらう。
階段をのぼりながら従業員に尋ねると、本日は自分の他、しばらく前から二名の長期宿泊者が泊まっているそうだ。そうでなければ、一名のみの宿泊は受け入れてないとのこと。赤字になるかららしい。
要望通り、部屋は三階の一番奥。『欅』 と札が掛けられている。
「掃除はしてるんで、綺麗は綺麗なんですが……」
何やら口ごもりながら、従業員が部屋の扉を開けた。
「あー、やっぱり漏れてる」
彼の背中越しに部屋を覗くと、部屋の窓側の隅の方に置かれた青いバケツが目に入った。
ぽたり、と音がする。天井の木の板の継ぎ目から漏れてきているようだ。
「何度も直しているんですけどねぇ……。ご覧の通りなんです。お部屋変えますか?」
「いや、ここで」
従業員はやはり怪訝な顔をしていた。
一人になり、とりあえず荷物を置いて座椅子に座って一息つく。
部屋は十二畳間で狭すぎず広すぎず。ダム側湖に大きな窓が付いていて、傍に外を眺めるためのイスと小さなテーブル。ダムは夕闇と薄霧と放流の水しぶきに煙り、中々にいい雰囲気だ。
大量の水が放流される音。微かな雨の音。ぽたりぽたりと一定の間隔を置いて、水滴がバケツを叩く音。うるさいはずが、妙にこの場に合っている。
夕食は七時からとのことだったので、それまで水の音を聞きながら、のんびりすることにする。
部屋に出るという幽霊の姿は無い。ただ、今日はここに一泊するのだから焦ることもない。チェックアウトまでに何か出たり何か起きてくれればいいのだ。
そんなことを思いながら、夕食前に手を洗おうと窓際の洗面台の蛇口をひねった時だった。
思わず手をひっこめた。
出てくる水が、赤黒い。
まるで血のようだ。
はっとして洗面台に栓をして洗面台一杯に水を溜める。出し続けている内に、水が普通の透明な色に変わった。
しばらく眺め、匂いなど嗅いでいると赤色の正体が知れた。
錆だ。
水の中に手を突っ込むと小さな錆の粒が付着する。この部屋はしばらく使ってないと言っていたので、水道管の中に錆が浮いていたのだろう。
がっかりしつつ胸を撫で下ろす。一瞬、勝手にこの部屋を使うなという幽霊の警告かと思い心臓が躍った。
座椅子に座り直し、ニュースでも見ようとリモコンのスイッチを押す。
テレビがつかない。
電池が切れているのだろうか。しばらく試して諦めた。まあ、絶対に見たいものでもないので別に構わない。それに、ここには幽霊を見に来たのだ。
夕食の時間になったので、一階のレストランへと向かう。夕食はアユの塩焼きと山菜定食といったもので、中々美味かった。
食事をしていると、二人の人間が入ってきて席に座った。どちらも若い男で、彼らが従業員の言っていた長期宿泊者だろう。
夕食を食べ終わりレストランを出る際、二人に向かって軽く頭を下げると、彼らもぎこちなくだが会釈を返してきた。食事中、彼らの視線やその話声が妙に小さいことが気になったが、わざわざ雨漏りのする部屋に泊まりに来た妙な客だと思っているのか。実際ほとんどその通りだ。
三階に上がる前に、フロントに部屋の洗面台やリモコンのことを言おうかとも思ったのだが、また別の部屋に変えろと言われるのも面倒なので、ここを出る際にまとめて伝えることにする。
自室に戻ると、部屋には布団が敷かれており、そうして天井からの雨漏りが止んでいた。窓の外を見るとまだ雨は降り続いているが。まあ、そういうこともあるだろう。
浴衣を持って風呂に向かう。
別館の風呂場は広く、一人きりだということもあって中々に気持ちが良かった。
景観はいいし静かだし料理は美味いし風呂は広いし宿泊代は安い。風呂に首までつかりながら、ここは当たりだったな、と思う。
風呂を出て、部屋に戻る。
途中、ロビーに酒の自販機があったので、普段はそんなことしないのだが、夜のお供に二本だけ買った。たまには一人でゆっくり静かに飲むのもいい。
外の景色を見ながら飲みたかったので、室内の照明を消す。
とはいえ、窓の外には黒塗りの景色があるだけだ。光は、隣の部屋から漏れて来ているものと、ダムの明かりと、対岸の道を通る車のヘッドライト。
放流は止んでいて。先ほどよりも雨の音がはっきり聞こえる。
窓際の小さなテーブルに腰掛け、外を眺めながら酒を飲む。
部屋の中に男の霊の姿は無い。いや、明かりを消したので見えていないだけかもしれない。
ここに出るという男の幽霊も、生きていた頃はこうして夜の景色を眺めていたのだろうか。
時間をかけちびちびと飲み、一本空けたところで酒はもういいかという気になった。金縛り等にも期待しているので、徹夜はしない。
寝る前に二本目を開け、窓際のテーブルの上に置く。
そうして布団にもぐり、眠った。
起きると朝だった。
金縛りも無ければ妙な夢を見たわけでも枕が反っていたわけでもなく、窓の外はすっかり晴れていて、すがすがしい目覚めだった。
リモコンに手を伸ばしテレビをつける。天気予報によると、今日は快晴だそうだ。
それからレストランで朝食をとった。他の二人の客の姿はない。給仕の人にそれとなく訊いてみると、彼らは仕事の関係で来ているらしくいつも朝早くに出るそうだ。
「……お客さん、昨夜はゆっくり寝られました?」
若い女性の給仕が、興味を隠し切れないといった風に訊いてきた。
どういう意味かと訊きかえすと、彼女はわざとらしく声をひそめ、
「あのですね。今だから言いますけど、お客さんが泊まられた部屋ってユーレイが出るって噂の部屋なんですよ」
「ほう」
「以前は他のお二人と同じ会社の方が使っていたんですけど、『男の霊が出る』 ってノイローゼになって、結局仕事辞めて帰っちゃったんです」
「ほう」
「それにですね、あの部屋ってフシギで、普段は大人しいのに、お客さんが来た時だけ雨漏りがしたり電気が点かなくなったりするんですよ。……幽霊が嫌がらせしてるんです」
「……そういうことは早く言ってほしかったな」
「あはは、でも先に言ってたら、お客さん眠れなかったかもしれませんよ」
なるほど。確かに期待で眠れなかったかも知れない。
雨漏りも赤錆びた水もテレビかつかなかったのも、全て幽霊の仕業だったのか。本当にそうだと嬉しいが、欲を言えば姿を見せてほしかった。
しかしながら、従業員がそんなことを客に話しても良いのだろうか。訊くと彼女は、「私、バイトですから」 と言ってぺろりと舌を出した。
朝食後、十時のチェックアウトまで部屋でぼんやりと過ごして、それから帰ることにした。
昨日の出来事について、結局フロントには洗面台の蛇口から錆が出てきたことだけを報告しておいた。そもそも普段は使ってないという話だし、そこに無理やり泊まりたいと言ったのは自分だ。
まあ、幽霊は見れなかったが、いい宿だった。
そうして天気予報通りの青空の下、カブに跨り、ダム湖沿いの宿泊施設を後にした。
根城である大学近くのぼろアパートに帰りつき、夕刻。いつもの様に隣部屋のヨシが酒と肉と野菜を持って部屋にやって来た。
「よー、また行ってきたのかおまえ。しかも泊まりがけかよ」
訳知り顔のヨシが言う。どこに行ってきたのかと訊くので、今回の小旅行の内容を話してやった。
話し終えると、何故かヨシが渋い顔をしている。
「……いや、雨漏りしてたのかよ」
「従業員の話だと、客が来た時だけな」
「そんで、蛇口から錆びた水が出て」
「普段使ってないからな」
「テレビも点かない」
「朝は点いた」
眉をひそめて何か考えている。
「いやぁ……、それさぁ、ちょっと言いにくいんだけどさ」
渋い顔のままヨシが言った。
「それ、宿の怠慢を、幽霊のせいにしてるだけじゃね?」
こちらもしばらく考えて、なるほど、と思う。そういう考え方もあるか。
「掃除も修理もしてるが、そうなるんだと」
「いやぁ……」
「逆に、幽霊が出るって話を前面に出したら、もっと客が来るかもな」
「いやいや……」
「外国だと実際にあるそうだぞ」
「いやいやいや……」
「そんなに嫌か」
するとヨシは渋りきった顔で、
「宿だけに、いやど」
そう言い放ち、一人でげらげら笑った。
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