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投稿者「かれき ◆UtLfeSKo」 2018/07/10
『身捨嶽(みすてだけ)』 と呼ばれる場所がある。
△△山の頂上付近にある垂直に切り立った崖のことで、崖自体の高さは二百メートルほど。石灰質の岩肌が不気味なほど白く、山の情報誌には『【身捨て】の名前にふさわしい、吸い込まれそうな崖』 と書かれている。
さらに山自体も二千メートル以下でありながら急峻で長いガレ場や一歩踏み間違うと真っ逆さまの岩尾根など、日本アルプスの難山にも負けない上級者向けの山となっている。実際昔から遭難や滑落事故が多く、死者の数もここら辺の山では群を抜く。
『身捨嶽』 はそうした山で死んだ者の魂が集まる場所でもあるそうだ。
というわけで、見に行くことにした。
六月。今回は山に登るということで出発は早朝。ザックに水と食料、ガスとシングルバーナー、地図に合羽、もしもの時のための遭難用具一式を詰め込み、ついでに同じ大学に通う隣人宅のポストに本日の登山行程を書いた紙を差し込み、午前五時半、愛車のカブに跨り大学近くのぼろアパートを出発した。
隣県につながる山越えの国道を東へ。
町を抜け川を横目に谷あい道をゴトゴトと走る。坂が急で荷物が重くそもそもカブであるため速度はあまりでないが、この日は天気が良く景観を眺めながら走るには丁度いい具合だ。
小さな温泉郷を過ぎしばらく走ったところで登山道入り口の看板を見つけた。
時間は午前九時前。近くのスペースにカブを停め、ザックを背負い直す。
小さなころから単騎での心霊スポット巡りを趣味かライフワークとしている身からすれば、山登りやキャンプはお手のもの、とまでは言えないが、いくらかはこなしてきた。
大蛇、大蜘蛛、迷い霧、峠の幽霊、淵、鉄塔、トンネル、廃村。どの山にも一つや二つ謂れがあるものだ。ただ今回ほど山奥の場所にはまだ行ったことがない。難しい山とのことなので、何時もより少し気合を入れる。
登山道はいきなりロープの垂れた急登から始まった。
さらに急登がひと段落したかと思えば、前方で土砂崩れが起きており。道に覆いかぶさった土砂の上を人の踏み跡と張られたトラロープを頼りに渡りきる。
その後も足場が不安定な個所が多く、神経を使わされた。特に中盤の切り立った岩尾根は、今日は晴れているからいいが、雨や霧で濡れれば滑落の危険はぐっと高まるだろう。
確かに厳しい山だ。
何度か休憩を挟みながらゆっくりと登る。辺りの木々はシカの食害から守るためだろう、青いネットが被せられている。樹皮をかじられてしまい、すでに枯れている木も目立つ。
他の登山者の姿は見えない。この厳しさに加え有名とは言い難い山なので、まあ当然だろうが。
登り始めて二時間ほど。二度目の休憩をしていると遠く下の方に何か動物の影が見えた。
カモシカだった。
こちらを見上げている。咄嗟にカメラを構えたがズームしている内に逃げられてしまった。
ただここには登山者に会いに来たわけでも、カモシカを見に来たわけでもない。身捨嶽に集まる魂を見に来たのだ。
再び上を向いて登り出す。
それからまた一時間ほど急登を進むと、頂上を臨む切り立った場所に出た。傍らの古びた木の看板には『身捨嶽』 と書かれている。
ここか。
ザックを地面に置いて崖から下を覗き込む。遠近感がおかしくなるほど高い。眩暈がしそうだったので早々に引っ込んだ。
辺りには無念の死を遂げた登山者の魂が飛び交っている、といったことは、ない。
時間が悪かったか、しかし陽が落ちるまでここで待つのは危険だし、テントはあるが明日は天気が崩れるとのことだった。泊まりでの張り込みはまた次の機会だ。
△△山の頂上は身捨嶽の切り立った崖の脇を下り、再び登り返した先にあるが、今日の目的地はここなので行く気はない。
傍の平たい石に腰掛け、景観を眺める。今日は本当に天気が良いい。空気も澄んでおり、遠方までよく見える。
しばらくすると腹が鳴った。昼飯を作ることにする。
お湯を沸かし半分に割ったパスタを茹でる。途中でお湯を少し残して捨て、冷蔵庫の残り物のシイタケとプチトマトとゾーセージを適当に切って、コンソメと使い切りのケチャップと一緒に放り込む。しばらく煮込んで完成。
そうしていざ食べようとした時だった。
視界の端に、妙なものが映った。
ザックだ。
誰のものだろう。薄汚れた黄緑色でかつ草藪に隠れているので、今まで気づかなかった。
とりあえず簡易トマトスープスパを胃に放り込み、諸々片づけをしてからザックに近寄った。
持ち上げてみる。水を吸っているのか大分重い。随分前から放置されていたのか。容量は三十リットルくらいで、色は違うが自分が背負ってきたものとほぼ同じ形だ。
謎の荷物を前にしばらく考える。
この場所に、ザックが落ちているとはどういうことだろうか。
真っ先に浮かんだのは、頂上に登るため一時的にここに荷物を置いているのではないか、という考えだ。しかし底から滴る水滴や汚れ方からして一日や二日放置されたものではなく、さらにこの場所から見える頂上までの道に人の姿は無い。
単純な落し物忘れ物か。しかし小さなものならまだしも、ザックを落としたり忘れたりするだろうか。しかもここは難コースだ。装備を丸々置いて帰るとは考えにくい。
なら重いものだけ置いて行ったのかもしれない。
ジッパーを開き中を覗いてみる。好奇心もあった。まあ、持ち主が現れたら謝ればいいのだ。
ハンドタオル、衣類。ゴミの入ったビニール袋。塩アメ。キャラメルの箱。封がされたままのペットボトルの水。泥とインクが滲んでほとんど読めない手帳。電源のつかない二つ折りの携帯電話。ザックの表には、『富士山登頂記念』 と象られたキーホルダーがぶら下がっている。
主観だがどうも重いから置いて行ったという風でもない。
こう何か、頂上に向かう道中荷物を残して人だけ消えてしまったような。
ふと崖の方を見やる。切り立った崖の向こう、遠く向こうまで青々とした山並みが続いている。この素晴らしい景観に、身捨嶽という名前はやはり似合わない。
取り出した中身を元通りにしながら、再び考える。
さて、このザックをどうするか。
落とし主が取りに来る可能性があるならば、この場に置いておく方がいい。ただ漠然と、それは無いだろうなという気がした。
届けるとしたら麓の一番近くの交番だろう。しかし、水を吸った重たいザックは明らかに余計な荷物だ。自分のザックの中には入らないし、下りの行程を考えると気は進まない。
見なかったことにしようか。
その瞬間唐突に、自分の頭の中に『見捨て嶽』 という四文字の言葉が浮かんだ。
意味はない。ただの駄洒落である。こういうのが好きな知り合いが身近にいるので、その影響だろうか。
改めて、自分が見つけてしまった荷物を見やる。
「見捨て嶽か……」
何故か口にもついて出た。二千メートル以下とはいえ、酸素が薄いこともあるかもしれない。
息を吐いて、再び誰かのザックを開き、中のペットボトルの水を崖の上から全て捨てた。
その気になってしまったのだから仕方ない。
持って降りよう。
押したり絞ったり垂らしたりして、出来るだけ水分を切ってから、力ずくで丸めてザック自体についている紐で縛り、自分のザックに固定する。確かに重くはなったが、思ったほどではない。ただどうしても背中から飛び出た形になるので、枝に引っかけないよう注意しなければならない。
下山を開始する。
山での事故は登りよりも下りが多い。知らずのうちに足が上がらなくなっており、小さなでっぱりに引っかけ滑落するのだ。加えてこの山はとにかく足場が悪い。
行きの倍の注意を払って△△山を下る。途中で再びカモシカを見かけたが、さすがに今回はカメラを取り出す余裕もなかった。
無事山を下りきった時には時刻は午後四時を超えていた。
一番近くの交番に向かうと、運良く丁度出かけようとしていた駐在と鉢合わせ、無事ザックを渡すことができた。
「あー、△△山の山頂付近ですかー……」
荷物受け渡しの際、少しばかり面倒くさそうに駐在が言った。
「これはー、持ち主、きっと現れないでしょうなぁ……」
自分もそう思うと返すと、苦笑いをしていた。
それから数時間かけて大学近くのぼろアパートに戻った。
隣人の部屋の前を通り過ぎようとすると、がちゃりとドアが開いて家主のヨシが顔を覗かせた。
「よー、お前また行って来たのかってうわ、何だその荷物。山でも登って来たのかよ」
「山でも登って来たんだよ」
朝出発する前、奴の家のポストに登山計画書をつっこんでおいたはずなのだが。
「あー、あれか。何か白い紙一枚でよく分からんこと書いてるから、何かの間違いかと思ってろくに見ずに捨てちまったわ」
「ほぉ」
「ってか、わざわざ手紙じゃなくていいだろ、今の時代」
なるほど、確かにそれはそうだ。
「あー、でもあれか。登山計画書ってことは、もしおまえが帰ってこなかったりしたら、俺が警察とかに連絡しなきゃいけなかったんか」
「……そうしてくれたら、有難かっただろうな」
「俺のせいで死んでも、化けて出て来たりすんなよ」
「その場合、心配しなくてもお前のせいじゃない」
「ふーん?」
「お前に頼んだ、こっちの落ち度だ」
「あーあー、そういうこと言うかお前は」
その後、ヨシはこちらが風呂に入ってさっぱりした頃合いを見計らって、酒と食材を持って突撃してきた。
仕方がないので簡単に数品作って出しながら、今日の話をしてやった。
「ふーん、身捨嶽に荷物がぽつりとねぇ」
「事故か遭難かな」
「でもまー死んでは無いだろ。死んでたら捜索隊とか遺族が荷物回収してるんじゃね。だって携帯とか入ってたんだろ?」
「入ってたな」
「たぶん山降りた後で、もう一度取りに来る気も失せたんだろ。キツイ山だしまあいいや、みたいな」
「そうか……、そうだな」
そうだといいなと思う。たまにはヨシもいいことを言う。
そのヨシが酒を飲みながらぽつりとこぼす。
「しかしまぁ、ミスって崖から落ちでもしたのかね」
「かもしれないな」
「……ミスってな」
「ん?」
「だからさ、ほら、ミスって」
「……?」
「ミスって嶽」
沈黙が流れる。
「いや悪い、今のはスベった」
「……」
「あー、きっとその人も、スベってオチたんだな」
「……」
「おい何か言えよ」
「……」
「見捨テナイデ」
何かひどく酒が不味くて、何も言えなかった。
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