怖い話&不思議な話の投稿掲示板
投稿者「かれき ◆UtLfeSKo」 2018/07/05
『未来と繋がっている』 という噂の井戸がある。
海沿いの小さな町にある井戸で、大昔に掘られたいくつかの古井戸の内の一つがそうだ。何でも偉いお坊さんが水不足に悩む住民のために掘り当てたのだとか。
水道管が通って以降生活用水としては使われていないが、町の歴史を語る文化財として残されており、地域の保存活動もあるようで未だに井戸の底には綺麗な水が溜まり汲むことができる。
その水面を上から覗き込むと、未来の自分が映るのだそうだ。
というわけで、見に行くことにした。
何の予定もない土曜日。朝飯を食べ支度をすると、愛車のカブに跨って大学近くのぼろアパートを出発した。
空は薄曇りだが、天気予報によればこれからどんどん晴れてくるらしい。海へと続く道を南へ。トンネルを二つほど抜け川沿いの細い近道を進んでいくと、雲の切れ間から差し込む光と共に目の前に海が広がった。
それから海沿いの道をしばらく東へ。
目的の町に辿りついたのが十時頃だった。海を臨む低い山の斜面にそのままへばりついたような町だ。あちらこちらに坂道や階段が張り巡らされていて、山の頂上にある寺につながっている。
駅の駐輪場にカブを停めて歩き出す。目的の井戸は、坂道を少しばかり上ったところにあるはずだった。
空は随分と青くなり、気温も徐々に上がってきている。
ぶらぶらと歩きながら、以前ここに来た時のことを思い出す。あの時分にはまだバイクを持っておらず、一人電車で来たのだった。
井戸に映るという、『未来の自分』 を見に。
単騎での心霊スポット巡りを趣味かライフワークとしている身として、同じ場所に日を変え時間を変え再チャレンジすることは特に珍しくない。とはいえ今回は十数年ぶりの再訪だ。
最近井戸に関する別の話を耳にしたのだ。
井戸には、自分の未来の姿だけではなく、死んだあとの骨だけの姿が映ることもあるらしい。
別に未来の自分に興味はないが、そこまで未来であるなら見てみたい。
入り口にネコの形の看板を掲げた、雑貨屋か喫茶店かよく分からない妙な店の横。以前も訪れた記憶通りの場所にその井戸はあった。
屋根のついた井戸らしい井戸だ。
井戸には一人先客がいた。小さな、小学校低学年くらいの子だ。こちらに背中を向け木枠の縁に両手を掛け、上半身を大胆に投げだし、真剣に井戸の中を覗きこんでいる。
驚かせて井戸の中に落ちてしまったら事なので、少し離れた場所で順番を待つ。とはいえ井戸には落下防止のロープが張られていたはずだが。
井戸の傍には立札があり、『未来の見える井戸。覗くと○○年後の君の姿が見えるかも。※ただし、カップルで一緒に見ることはお勧めしません』 と書かれている。最後の一文は余計なお世話に違いない。
子供は井戸を覗き込んだままじっと動かない。あの子には何か見えているのだろうか。それにしても落下防止ロープがあるとはいえ危ない体勢だ。あのロープは随分隙間があるんじゃなかったか。
その時ふと思った。
未来の見える井戸に人間を放り込んだら、どうなるか。
もちろん何も起こらないのだろう。しかしもしも。すぐに引き上げられたにも関わらず歳を取っていたり、それこそ骨になっていたら面白い。
目の前の小さな背中を眺めながらそんなことを考える。
ただ、今それを本当に実行してしまったら。多分あの子の力では、引き上げてもらうのは無理だろう。それに、いきなり知らない人間が目の前で井戸にダイブしたら、吃驚を通り越してトラウマになってもおかしくない。
あの子の未来のためにも、身を持っての検証は止めておく。
「……あっ」
子供が声を上げた。
何かが見えたわけではなく、どうやら木枠を掴んだ手が滑って井戸の中に落ちかけているようだ。井戸から飛び出した足がばたばたしている。
なるほど、のん気に構えている場合ではない。
駆け寄って、その背中を掴んで引っ張り上げてやる。井戸の中にはそれこそ『井』 の形にロープが張られていて、この子は咄嗟にそれを掴んだおかげで下まで落ちることはなかったようだ。
子供は落ちかけたことに驚いたのか引き上げられたことに驚いたのか、井戸の横に座り込み目を瞬かせている。
その大きな目がこちらを見やった。
「……ありがとう」
「うん」
最近の子供にしては珍しく、一番に礼が言える子のようだ。
「手がずるってなった……」
「そうか」
子供にはそれ以上構わず、井戸の中を覗きこむ。
『井』 の字に張られたロープの下、黒々とした水面に人影が写っている。誰かの上半身。自分のシルエット。光の当たり具合が悪いのか、顔は真っ黒に塗りつぶされて何も見えない。しわくちゃの老人も骸骨も映っていないが、のっぺらぼうになら見えないこともないな、などと思う。
ふと、水面にもう一人の影が映った。
隣を見やると、先ほど引き上げてやった子供が同じように井戸を覗き込んでいる。今度はあまり身を乗り出してはいないが、あまり懲りてもいないようだ。
「落ちるなよ」
声を掛けると、井戸の底を見やったまま、小さく頷いた。
そのまましばらく、二人並んで水面を睨みつけていたが、少なくとも自分の目には、何かが見えることはなかった。
諦めて顔を上げると、お隣も同じようなタイミングで背を伸ばした。
何となく目が合う。
「……おじさん」
「ん?」
「おじさんは、何か見えた?」
その言い草からして、この子も自分の未来を見に来たのか。
「黒い影が、二つあっただけだな」
正直に話すと、何故か少しほっとしたような顔をした。
「……ぼくも」
「そうか」
今更だが、男の子だったのか。髪の毛の長さが微妙でよく分からなかった。肩から小さなポーチを下げている。辺りには親も友達の姿もないが、この町の子なのだろうか。
「おじさんは、未来の自分を見に来た人?」
「いや、ちょっと違う」
「じゃあ、ガイコツの幽霊?」
「まあ、そうだな」
すると、彼は少しだけ笑って。
「ぼくも」
「そうか」
しかしながら、目当てのものが見えなかったというのに妙に嬉しそうだ。
「ぼくだけかと思った」
「ん?」
「この前遠足で来た時、みんなには見えたんだけど、ぼくだけ見えなかったから」
「……そうか」
「うん」
その時ふと、随分昔、自分も同じような経験をしたような、既視感のような何かを感じた。ただしそれは一瞬のことではっきりとは思い出せず。おそらく、ただの気のせいだったのだろう。
「どうやったら見えるのかなぁ……」
彼が井戸の方を見やり、心底不思議そうに言った。それはおじさんも知りたいことだ。
しかしながら、こちらがおじさんに見えているということは、彼はそこに落ちかけたせいで『未来と繋がっている井戸』 の影響を受けたのかもしれない。などと真面目に考えようとしたが、さすがに馬鹿らしくなってやめた。そう言えばここ三日ほど髭を剃ってなかった。
「……まあ、巡り合わせと、運だろうな」
「そっかぁ」
テキトーに答えたつもりが、彼は妙に納得したようだった。
それから二人でもう一度井戸を覗いてみたりしたが、やはり何かが見えることはなかった。 仕方がないので帰ることにする。
彼とは駅まで一緒だった。
この町の子かと思っていたが、何でも幾分遠い町から電車に乗ってやって来たらしい。その行動力に感心するが、自分も昔ここに一人で来た時は電車だったな、と思い出す。歳も丁度彼ぐらいの頃だっただろうか。
駅前に停めてあったカブ見せてやるとえらく気に入ったようで、「カッコいい!」 とはしゃいだ後、値段やら馬力やらを詳しく訪ねてきた。
「このカブは中免が要るぞ」
「ちゅうめん?」
「中型免許」
「うん、分かった。絶対取る」
そうこうしている内に時間になり、彼は電車で、こちらはカブでそれぞれの家路に着いた。
別れ際、彼は駅の入り口で何度も手を振っていた。
夕暮れが迫る頃、大学近くのぼろアパートに帰ると、いつものように隣部屋のヨシが酒と食材を持ってやって来た。呑み好きと自炊が面倒くさいという理由で、奴はしょっちゅうウチに来るのだ。
「よー、今日はどこ行ってきたんだ?」
つまみ兼夕食を作って出してやり、冷えたビールで乾杯した後、訳知り顔のヨシが言った。
「△○町の井戸」
「あー、あのカップルで行くと別れるとこか」
酒と料理をつまみながら、一通り今日のことを話してやった。
ふと気が付く。ヨシが何故か遠い目で窓の外を見ている。
「……何だよ」
すると奴は片手でビールの缶を弄びながら、何時になくしみじみとした口調で、
「悲しいなぁ……」
と言った。
「何が?」
「悲しいなぁ……」
「何が」
「こんなんなっちゃうのかぁ」
「おい?」
「悲しいなぁ」
「……」
「その子は見ちゃったんだなぁ、自分の未来を」
「井戸には何も映ってなかったぞ」
「悲しいなぁ……」
などと訳の分からないことを呟きながら、ヨシはビールにちびりと口をつけ、長い長いげっぷを吐いた。
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