怖い話&不思議な話の投稿掲示板
投稿者「かれき ◆UtLfeSKo」 2018/06/23
『渡っている間、振り返ってはいけない橋』 がある。
その橋は山間の川に掛かった古い橋で、この辺りでは中々有名な心霊スポットの類だ。
時代はまちまちだが何組かの男女が心中場所として選んだ橋だとかで、『カップルで行くと破局する』 というお決まりの噂と共に、『橋を渡っている最中に振り返ると、男なら女の霊が、女なら男の霊が立っていて川底へ引きずり込まれる』 というありきたりな怪談話がまことしやかに語られている。
というわけで、見に行くことにした。
午後の講義を終え軽く食事も済ませてから、ビニール製の白い安合羽を着こんで愛車のカブに跨り出発した。その日は朝からしとしと小雨が降っていて、目的の橋は少しばかり川を遡った上流域に、新道と旧道をつなぐ形で掛かっている。
時刻は夕刻。まだ陽は落ち切っていないはずだが、曇天の下、辺りはまっ暗でさらにかなり濃く霧が掛かっていて車通りの少ない山道と相まっていかにも何か出てきそうだ。
途中、小さな町を通り過ぎてしばらく走り、大学近くのぼろアパートを出て一時間弱で、目的の場所に到着した。
橋から幾分手前の路肩にカブを停めて、そこから歩いて現場に向かう。
川の向こう側には旧道と今は使われていない廃線、廃駅があるらしいのだが、いかんせん霧と暗すぎるためまったく見えない。
ここら辺りの谷は深く、川は水量も流れもあり、景観の良い渓谷として観光パンフレットにも載っているのだが、それはよく晴れた陽の差す時間帯でのことで現在はただの墨を使いすぎた水墨画だ。
夜中、小雨、霧。足元からざらざらと水の流れる音がする。時刻、雰囲気と共にシチュエーションとしてはとても良い。カブを橋の近くに停めなかったのも、心の準備もあるが雰囲気を壊したくなかったからだ。単騎での心霊スポット巡りを趣味かライフワークとしている身からすれば、そういったお膳立ても大事だと思う。
暗闇の中を歩く。遠くに街灯はあるがあまり役に立っておらず、もし懐中電灯がなければ文字通り一寸先は闇だろう。
その闇の中、目の前に手摺に錆の浮いた赤茶けた橋が、ぼう、と浮かび上がった。
車が一台ようやく通れるくらいの幅の狭い橋。長さは七十メートルくらいだろうか。川幅いっぱいに緩くアーチを描いている。
橋の袂に光を向けると、欄干の元に、『見返り橋』 と彫られているのが見えた。その瞬間、膨らんでいた期待が僅かにしぼむのを感じた。 橋の名前がそのまま、『見返り橋』 だとは思っていなかったのだ。
その土地の名前や形状から後付で、『そういう場所』 にされてしまうことはよくあることだ。例えば、七子峠という名の峠にまつわる怪談話があったが、よくよく調べてみると元の名は、『七戸峠』 であり、怪談話で語られるような事実は全く無かった、だとか。
この橋も、もしかしたらそういう類の場所なのかもしれない。『見返り』 という言葉のみが先走って生まれた心霊スポット。
ただ、まだそうと決まったわけではないし、まだ何も検証していない状態で自ら意気消沈してしまうこともない。そう思い直す。
とりあえず、橋を渡ってみることにした。
向こう岸は暗やみと霧に煙り、うっすらとしか視認できない。欄干から下を覗き込むと、数十メートル下を黒い色をした塊が音を立てて流れ下っている。
例え心中話が作り物だったとしても、吸い込まれそうな雰囲気がある。もし跳び降りれば普通に死ぬだろう。
橋の中心まで歩いてきたところで一度振り返ってみる。
誰もいない。何もない。
例えばホラー映画などでは、気配を感じ振り返るがそこには何もおらず、ほっとして視線を戻すと居た。という手法がよく見られるが、今回はそういうこともなかった。
とりあえず、何度か振り返りながら橋を渡り切ってみた。やはり何も出てこない。
いつものことだが期待していた分だけ落胆もある。
向こう岸にはもう使われていない線路と旧道が並んで山の斜面にへばりつくように伸びている。線路沿いに懐中電灯の光を這わしていくと、幾分向こうの方に廃駅のホームがうっすら確認できた。
せっかくなので戻る前に廃駅の方も見ていくことにした。別にこの駅に関しては何の噂もないのだが、モノのついでだ。
駅舎は木造で、床には小石や落ち葉や木くずが散乱し、壁は所々ペンキが剥げ黒ずんだ木の色がむき出しになっている。そうした風景に懐中電灯の光を向けつつ、切符も買わずに改札を抜けた。
夜雨と霧とが降り掛かる駅のホームに電車を待つ人の姿はない。
すぐ傍にとても座れそうにないボロボロの青いベンチが並び、線路には背の低い雑草が生えている。ただ、まだ古びきってはいない。所々微かに残る人の名残に背筋がぴりぴりする。
いい雰囲気だ。そう思った。
何となく、手にした懐中電灯の光を消してみる。暗澹とした空には月も星もなく、対岸のぽつりぽつりと立つ街灯が唯一の明かりだが、こちらには全く届いていない。かざした手さえ、よく見えない。
何が出てもおかしくないと言おうか。例え今ここに電車がやって来たとしても、驚いて腰を抜かしつつ頭の隅で納得するだろう。というか、ぜひやって来てほしい。そうして出来れば乗せてほしい。
そんなことをぼんやり考えていると、山の向こうから微かに車の音がした。一台、こちらにやってきているらしい。
しばらくすると、対岸、霧の向こうの新道にヘッドライトの光が現れ橋の袂あたりで停まった。
ああ、と思う。そう言えばここは地元ではそこそこ有名な心霊スポットなのだった。
エンジン音が止んでヘッドライトが消え、代わりに車のライトよりも細く小さな光が点灯した。懐中電灯。ドアの開く音と話し声。川を挟んで距離も結構離れているのによく聞こえる。どうやら若いカップルが一組、肝試しに来たらしい。
懐中電灯の光が橋を渡っていく。途中で何度か振り返りながら、その度に、きゃあきゃあと黄色い声が響いた。
ここで気を利かせて駅舎の影に隠れてやれば良かったのかも知れない。
ただ、別にこちらが悪いわけではないし相手が悪いわけでもない。たまたま白い合羽を着ていたこともそうだし、懐中電灯を消したままにしていたことも、霧が濃かったのもそうだ。
いわば間が悪かった。
一瞬、懐中電灯の光が身体をかすめていった。男の声がして、黄色い悲鳴の色合いが少し変わった。動揺しているのか。光が戻ってきてこちらを照らした。霧のおかげか、あまり眩しくはない。
そのままじっと、照らされるまま照らされた。
何か気の利いた反応をした方がいいのかと考えているうちに、本物の悲鳴が上がった。
まず高い悲鳴、それにつられる様に低い悲鳴。
懐中電灯の光が逃げるように橋を戻っていく。ばたんばたんとドアが開いて閉まる音。ヘッドライトが点灯し、ものすごい摩擦音をさせながら車はあっという間に走り去ってしまった。
しばらくしてから、自分のライトを点けて辺りを確認する。もしかしたら近くに別の何かが居たのかもしれないと思ったのだが、期待に反して何も無いし誰も居ない。
どうやら自分はあの二人のデートの邪魔をしてしまったらしい。
まあしかし、夜中にここに来たということは、人でない何かに会いに来たということだ。希望が叶って羨ましい限り。自分はれっきとした生きた人間だが、あの二人にとっては、『見返り橋の脇の廃駅に出た謎の幽霊』 に相違ない。
彼らは見たのだ。幽霊を。全くもって羨ましい限りだ。
その後、もうしばらく廃駅に入りびたり、廃線を少しばかり歩き、見返り橋を何度か往復したのだが、結局何も出なかったので帰ることにした。
カブまで歩いて戻る。霧は晴れる様子がなく夜の渓谷を包み込んでいる。
エンジンを掛け走り出す直前、最後に橋の方を振り返ってみたが、やはり何も見えはしなかった。
アパートの自分の部屋に戻ると、しばらくして隣の部屋のヨシが後輩の銀橋と一緒に酒とつまみを持ってやって来た。
「おまえー、また行ってきたろ」
訳知り顔のヨシが言った。そうして期待に満ちた表情をしている銀橋と共に、今回はどうだったのかと訊いてくる。
ありのままを話してやったら、げらげら笑われた。
次の記事:
『河川敷の処刑場跡地』
前の記事:
『古木』